こんにちは。

きょうは台風が縦断するはずで、一日雨模様の予報でした。でも曇りから快晴となったんです。
あれ? て感じです。隣町で屋外の市営プール場がやっているとの情報がありました。清水市営プール場です。
暑いのでスクーターで行ってきました。 七日ぶりのプールです。
気温が高いため、屋外はやはり気持ちよかったです。 男性しかいませんでしたが。
さて、きょうは中学の部活だった、ブラスバンドの続きです。
親友のワタのことです。どんな話しかな~。


IMG_20160911_090619



 ワタが

 

 体育祭も文化祭も終わってSBSの大会が近づいた。曲は夏の大会の課題曲と自由曲をやる。また嫌なことが始まった、と思えばそうでもない。気楽だった。すでに曲の進行と指のポジションをマスターしている。それに夏より力強く音も出るようになった。

いま中部大会なら県大会に行けるかもしれないという自信もあった。

 クラリネットのOさんとはいまだに話していない。というか、相手のことを考えなければ、ワタのように気楽になっていた。A型のせいか、考えすぎもわるいのかもしれなかった。

 この大会でSさんと部活はお別れだ。先輩のために間違えないよう吹くつもりだった。

 合奏は自分でいうのもおかしいが夏より上手だ。本当に中部大会をいまやってもらいたかった。そうすれば県、もしや東海? 全国? それはないだろう。県で銀賞となって落ちると聞いたからだ。

 大会当日は普段の日だ。土日でもなく、学校を公認で早退出来る。

 二時間目で早退した。そして楽器運びとなる。ちなみにSBS大会は中部地区内で、なおもエントリーが少ない。たしか十二校くらいだった。毎度八中は優秀賞か最優秀賞らしい。つまり一、二位という。

 その日にそれを聞き驚いた。と同時にプレッシャーが少し出た。

 また思い込みだ。いままで自信が出たといったのに。ならあっけらかんとするしかない。顧問も『ホルンがよくなった』といった。

もうミスはない、と思い込むしかない。

 毎年SBS大会は清水市民会館で行うという。それなら八中から近く、部員とともに歩いて向かった。

 楽屋で音を合わせ、リハーサルをし、そしていよいよステージに。

 このとき一位の重圧はなぜか消えていた。そして最初のソロはきれいに決まった。やった、と心で叫んでいた。合奏でも四人がこんなきれいに決まったことはない。

Sさんのソロとハーモニーの箇所は、もう問題ない。

 そして袖に下がるとき、打楽器の仲のいい先輩が『やったな』と耳もとでいってくれた。ここでぼくはやっと認めてもらえた。

 打器の先輩は全国大会常連の高校に行き、武蔵野音大を出て音楽関連の職に就いたと聞く。そして歌手の平井堅の編曲もしたと知人から聞いた。中一のころスーツ仕立て屋の先輩の家に行けば、二階にグランドピアノがあって白鳥の湖を弾いてくれた。打楽器もすごいけど、ピアノも出来るとは目を丸めてしまった。

 その先輩と部長、ワタと会場で他校の演奏を見ていた。

打楽器の先輩はいろいろ教えてくれる。あの中学は下手だ、ここはトロンボーンとサックスがうまいなど、評価も出来る人だった。

そんな先輩から『やったな』といわれれば、ホルンの格が上がったのかもしれなかった。

 すべてが終わり審査である。


「……清水市立第八中学校、最優秀賞……」


 金賞や銀賞ではなくそんないいかたである。それは一位だった。


「やった、花金じゃんか」


 と、打楽器先輩。つまりこういうことだ。金賞でもダメ金があり、ランク的に花金は最上級で入賞となる。でもこのSBS吹奏楽演奏会の次なる県大会はなくこれでおしまい。つまり三年生が気分よく引退出来るように、顧問が考えて出場したのではないか。

 ぼくのホルンでも一位になれたのか。正直、ここではっきりと自信がついた。この大会がぼくを変えてくれたのかもしれなかった。

 それは小学四年生の面白いことをいってみたことと同じ。だんだんギャグに自信がつき、五、六年では即興でギャグをやってしまったり、給食袋でデストロイヤーの覆面を作りみんなを笑わせたりしたことと似ている。行いに失敗を重ねて成長していく。試行錯誤して人間は自信がついていくのだ。

 そしてその帰りに思いがけないこととなった。

 ワタと歩いて帰っていたら、突然Oさんがぼくとワタの前に現れた。前のほうを歩いていたのに待っていたようだ。瞬時にまた嫌みをいうのかもしれないと思った。


「浜崎君、きょうはすごかったね」


 いつもの老けた表情ではなく、にこっとしている。


「え、は、はい……」


 一体なんだと思った。


「きょうの演奏聞いたら、こないだいったことをわるかったと思って……最後だし気持ちよく謝っておこうと」


 頭を下げていた。


「いえ、いいんです。ぼくはミスったのは本当で」


 まさかOさんがそう来るとは、こっちが引けてしまう。


「いいだしっぺはわたしだし。でもきょうのなら県大会行けたわね」


 ぼくに笑った顔を向けたのは初めてだ。


「は、そうでしたか。ぼくも決まったと思ってました」


「その意気で来年もがんばってよ」


 というと、前に急ぎ足で向かった。ワタはその様子を横で見ていた。あんたっち、といっていたがワタは関係なかった。


「どうせ引退だからそのまま黙っていてもよかったじゃんな」


 とワタがいう。ぼくはうなずいたが、実はうれしかった。わざわざぼくへ頭を下げたのだから。Oさんは大会後にいったことを後悔したのだろうか。もし夏と同じくミスをしたら謝ってくれたのか。

そこを考えるとぼくの成長を知って謝ったと思う。たぶんミスではそのままなにもいわなかっただろう。

 その後、ワタはなにもいわなかった。そして部室で片づけをして帰りに最後のSさんにプレゼントを渡した。ぼくはワタと買いに行ったちょっとエッチな積み木の人形。ワタはカチューシャで、Kさんはハンカチだった。

 Sさんは笑みを浮かべ泣いている。それは怒鳴ってクラスを後にしたときの涙ではなく、心底うれしそうな涙だった。中学三年の女子なら、西城秀樹や郷ひろみがどうのこうのとアイドル歌手の話しをするはずだ。でもそんな会話はまったくなく、うちの担任はあーすればいいのに、こうすればいいのにと、フルートの友人との会話を聞いたことがあった。常にまわりのことを考えている古風な先輩だった。姉というより、だれかの母のようでもあった。そんなSさん、保母さんになるといっていた。彼女なら子供たちもいいことを教わるに違いない。

ぼくではとても入れない優秀な高校を卒業し、成人してから風の便りで聞いたけど、保母さんになったという。芯の強い彼女だから出来るのだ。

そして次のパートリーダーをKさんと決めて引退をした。ちなみにワタが三番でぼくが二番の予定だった。

 年が明けてそれからというものの、部活は大会もなくそれほど忙しくない。ニューフェイスの大会へ出場するかと顧問は一旦はいったが、結局出場はしなかった。このころワタがサボろうとよくいってくる。


「一番暇だし、大会もないいまの時期ならサボってもいいだろ」


 という。ぼくもそうだなといい、一緒にゲーセンへ向かった。

 当時インベーダーゲームが流行っていて、ぼくも熱中し始めていた。

 そのころになるとワタのいうように、いつのまにか楽譜が読めてもいた。簡単な音符の長さはわかる。例えば二分、三分、四分、八部、十六分音符などは理解した。休符と三連符、拍子が変なのはよくわからなかったりする。でも時期が来れば徐々にわかると自信がついていた。

 Sさんもいないし、Kさんと三人でパート練習かと思えばワタがいなかったりした。ぼくは単独では休まず、ワタと休んでゲームに行く。だんだんワタは連続で休むようになった。

そんな二月の土曜日に事件が起きた。

 基本的に土曜は顧問が来て合奏する。そして日曜がいまのところ休みだった。

 いきなり先週渡されたばかりの曲をやるという。一週間で出来る曲なので来週合わせるといったような気もした。

ぼくは困った。まだ階名を振っていない。それに今週は三日もインベーダーゲームをやりに行ってしまった。その楽譜は少しホルンのソロがあった。こんなに早く合奏するとは思わなく、まったく練習していなかった。そして合奏したとき、ぼくはほとんど吹かなかった。ワタはところどころ吹いていた。顧問はホルンが小さいといっている。そして、


「……浜崎と渡辺立ちなさい」


 なぜ部員の前で立たないとならないのか。ぼくは恐るおそる立った。ワタは堂々としている。


「おまえっち練習したのか?」


「……はい」


 ぼくは小声で答えた。


「うそをつけ!」


 顧問は声を張った。


「……」


「おまえっちサボってるだろ、この前見に来たらホルンは一人しかいなかったからKに理由聞いてわかった。まったくなに様だと思ってる。部員じゃんか」


 ぼくはうつむいていた。顧問は続ける。


「せっかくホルンに男が入ったから力強くなると思っていたんだ。もういい、お前らのやる気を聞く。渡辺、この先やって行けるのか」


 ぼくは左を向くとワタは顔を上げている。


「……辞めます」

 ぼくは目を見開いた。なぜそんなことをいうのか。

いままでワタに何度も助けられたというのに。


「浜崎はどうする」


「……やっていきます」


 ワタを見ると、ぼくをにらむような表情をした。小学三年時代にワタと学校をサボり、戸川先生に尋問を受けたときのようでもある。

でもあのときワタは、ぼくが誘ったことを絶対にいわなかった。

いまの尋問では、ぼくが部活をやめるというと思ったのだろうか。

そんな目だった。


「浜崎はやるんだな」


「はい」


「もう一度聞く。渡辺はやるのかやらないのか?」


 ぼくは、やる、といってくれと心で祈った。


「辞めます……」


 その声はもうぼくと目を合わせなかった。ワタの性格上、一度いったことは変えない。このときもそうだった。

小学校一年六組から六年三組まで同じクラスだったワタ。中学は違ったけど部活が一緒で二年後にはワタが一番ホルンと思っていた。

春休みに行かないと楽器がなくなるよ、ハマヤンもホルンやろう、といったこと。特訓前にワタへ楽譜を読めないことを話すと、ハーモニーの箇所へ急いで音符の長さを振ってくれたことが脳裏に浮かんだ。


「浜崎は根性があるな……」


 と顧問がいったが、ぼくはずっとワタを見ていた。そして部活を終えてワタのところへ行くと、『きょうは一人で帰る』と小声でいわれ、ぼくは立ちすくんでしまった。本当にやめるのかと聞きたかった。でもいままでを振り返れば、ワタは辞めてしまうだろう。

 その日ほど悲しいことはなかった。これからワタと遊べないのか、今後彼からムシされるのではないか、そう思っていた。

 翌日の日曜は、ワタの電話を待った。それはゲーセンへ誘う電話を一日家で待っていた。月曜に部活へ行くと、ワタのホルンはあるけれど、席にはいなかった。その後は二度と部活へ来なかった。

 

小一時代からの親友なのに、辞めるとはいわないでほしかったのです。 
残されたはまじのホルンプレイは今後どうなるのでしょうか。

では次回に… 


スポンサードリンク