こんにちは。

きょうは涼しい。でも朝一で屋外の大浜プールへ泳いできました。五十メートルプールに三人しかいません。泳ぎやすいのですが、とても冷たかったです。寒さの限界まで泳ぎました。本日行くと空いています。


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金管バンドにあこがれる


 四年生のときから金管バンドというクラブがあった。そのときは新しいクラブが出来たくらいの思いだった。

五年になり担任がそのクラブの指導者だったせいか、生徒をクラブ加入へ誘っていた。そのとき入っていれば、あとで楽譜解読の苦労はなかったのだろう。

 ぼくは興味なかったので断った。だが、ワタは入った。楽器はアルトホルンである。どんな楽器かといえばチューバを小さくした感じで、かっこはそれほどよくもない。

 ワタは楽譜を読めなかったはずだが、放課後や土曜の午後も練習があるので、よく入ったなと感心だった。

 マーチングバンドといって、グラウンドを歩いて楽器を吹く練習もしていた。教室から見入っていると、それはけっこう大変そうだった。

 六年になったころ、何度もマーチングバンドを見ていると、腕を上下で操る、細長い金管楽器がかっこよく見えた。

 それはトロンボーンという。その楽器奏者がクラスメートに三人もいた。あれならやってみたいと思ったが、その楽器は四人いるし、だれかがやめなければ募集はない。まして三人は六年だ。一緒に卒業もする。

 ときおり担任が『浜崎はよく練習を見てるな、入りたいのか?』といわれたが断っていた。いま入っても打楽器になるとワタがいったからだ。

 月曜の全校朝礼では金管バンドの演奏があり、トロンボーンばかり眺め、かっこいいなー、吹いてみたいな、と思っていた。

 六年の秋ごろ、ワタのつきあいで楽器屋に行くことになった。

 アルトホルンを手入れする、洗剤のようなものを買うためだ。

そこの楽器屋には中古の楽器も売っていて、なんとトロンボーンが二万円で売っているではないか。二万なら正月のお年玉と貯金で手に届きそうだ、そう思っていた。ほかにはトランペットやフルートでトロンボーンは一体だけだった。


「ワタ、あれ二万だ。どう思う?」


「やめといたほうがいい、絶対おぜーよ、二万じゃーね」


 ぼれー、おぜーは静岡弁で、よくないという意味。ぼくはなにがおぜーのかさっぱりわからないので、


「どうしておぜーの?」


 すると、ぼくには理解不能な壊れていることや、チューニングがどうのこうのといった。つまり手を出すなということだった。

でも壊れているようには見えなく、ピカピカに輝いている。

 安いといっても二万円。とても大金で正月なって合計の全財産と思った。

 それからというものの、売れてしまうのではないかと、毎週あるか清水銀座商店街へ通った。あると、よかった、となる。

 トロンボーンは新品でいくらするのかと、ほかの楽器屋へ偵察に行ってみた。するとガラスの棚にショールームのような高級感あふれて並んでいた。八万、十二万、二十一万、四十二万と値札があり、それはそれは手の出ない価格だった。

 やはり二万のトロンボーンは安い。

 十二月もトロンボーンはある。なぜ売れないのだろうか、と疑問もあった。でも売れてしまったらぼくが買えなくなる。

正月を向かえ、おばあちゃんには肩を揉んではとはりきった。

六年生は最上級生のアピールをしてお年玉、貯金と全部合わせて二万一千円となった。これで買える。

学校の始まった土曜に楽器屋へ向かった。まだあったので、店員さんに『それ下さい』といった。『トロンボーンは人気あって、みんな見せてっていうの。まず試して吹いてからでもいいわよ』と。

一度ワタのアルトホルンを吹かしてもらった。バジングも少しは出来る。でもここで金管クラブ員に見つかってもまずい。なぜクラブ員でもない人が楽器を買うのか、と担任へ報告されそうだ。

ぼくは断り、ケースのついたトロンボーンを購入した。マウスピースとワタの買った洗剤のような『ラッカーポリシュ』が中古でもついていた。

それを持つと結構な重さで自転車もふらついた。だれにも見つかりたくなかったので、裏道ばかり通ってどうにか帰宅した。

 ワタに報告しようか迷った。クラブ員でなければ話すが、どうもふと口が滑りそうだ。クラスでは持てるワタで、仲のいい女子もいた。三年時代より閉鎖的ではなくなり、開放感あるワタになってもいた。ぼくは黙っていることにした。

 家で早速組み立てると、スライドする部分が固い。よく調べれば棒がどうも曲がっているではないか。たぶんこれが原因で二万円とわかった。あのときワタがいった『……壊れてる』とはこのことかもしれない。でもこれは見えないところなので、買わないとわからなかった。これを買おうとした人たちは、クラブ員で一度吹いてやめたのかもしれない。

『ちょっと失敗したか』とつぶやき、組み立てたトロンボーンを吹いてみた。

 音は鳴った。バジングはほぼ出来たので、スライドさせながらド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ドを繰り返していた。なぜ楽譜を読めない自分が音階のポジションを知ったかというと、クラスの奏者に何度も聞いたり図を書かせたからだ。なぜそんなに知りたいのか聞いてきたら、〇×小学校の親せきの子がトロンボーンやるから音階を知りたがっている、とうそをついた。

 そして一人で家を歩いてトロンボーンを吹いていた。ところが楽器自体長いため、そこらじゅうのタンスや机に当たる。それで歩くのはやめて正座で吹いていた。

やがて家族にばれ『うるさいし、なんでこんなむだ遣いしたの?』と母がいう。三歳の妹は耳をふさいでいた。

 ある日、スライドがいつも固くていらいらとしていると、棒を力で少し戻せばよくなるのではないかと思った。そしてやってみたら少し軽くなった。これなら少しはいい。でも翌日には固くなっていた。なぜか戻ってしまうらしい。もう少し強く戻そうと思ってやったら、


「バキッ!」


 と一箇所が割れたというか、はがれてしまった。『あーっ』と悲鳴に近かった。鉄の部分をはんだか溶接でとめてあった。そこがとれた。ということは、もう吹けないのかもしれない、とそのとき思った。


「どうしようか」


 とつぶやいて、ふと思うことは瞬間接着剤。それしかないだろう。ということで当時の瞬間接着剤『アロンアルファー』を文房具店に買いに行った。いまのように便利な百金はなく、それは三百八十円もした。

 工作は得意ではなかった。でも二万円もしたのでなんとか直したい。プラモデルとはわけが違う。それに瞬間接着剤だ。素早くつけなければならない。一発勝負だった。

ぼくは何度も接着剤をつけた振りをするリハーサルをやる。

ちなみに瞬間接着剤は一度友だちが使っていたのを見たことがあるだけ。テレビのCMでは鉄同士が瞬間で接着し人間が三人で引っ張っていた。それだけ強力らしい。

 そしていざ同封のビニール手袋をつけて接着する。練習のせいかなんとか接着した。しかも瞬時だった。指について熱くなったので、これはまずいと思い水道で手を洗う。すごい強力だ。

 でもここから瞬間接着剤との葛藤をする。

 翌日の練習中に接着がとれてしまった。『えっ、なんで?』と。

宣伝では強力でとれないのに、なぜだ、と思っていた。そしてまた接着する。だがその日にとれてしまった。

 あの宣伝はうそか、と疑問も出た。

 それからつけてはとれて、またつけてを繰り返す。そして卒業したあとワタが、『はまじ、ブラバン入るなら春休みに楽器を決めたほうがいい』という。ワタはホルンに入ると意気込ませている。

 中学は野球かブラスバンドと決めていた。日曜や春休みに中学の練習を見に行くととても厳しく、一発であきらめた。そしてブラバンに入るとワタには伝えていた。

 トロンボーン獲得しないとならない。でもワタの情報からそれはむりという。六年の一人がトロンボーンに決定し、もう四人いると。あとの二人はフルートに入った。トロンボーンからフルートとは、一からではないか、そう思ってもいた。

空いているのは、木管系、打楽器、金管ではトランペットかカタツムリのような格好のわるいホルンだけ。


「はまじもホルンやろうぜ」


 ワタが誘う。


「かっこわるいな、それにマウスピースが超小さいよ」


「慣れるよ、おれも教えるし」


「そうかなー」


 ワタとならなにも知らないぼくは共感出来る。


「クラスは違った場合でも部活は一緒だし」


 それもそうだと思って、


「じゃ、やるよ」


 というと、ワタは喜んで肩をたたいた。

それからは葛藤の連続だった。

 そのころになるとトロンボーンは吹かなくなっていた。わずか三ヶ月で二万の威力がなくなったのだ。もしトロンボーンなら、自分のマウスピースもあって、二万もむだにならずにすんだはずだった。

 そして離任式の終わった春休みから、中学のブラスバンド部へ通った。ところが四月三日ごろ軽い交通事故にあってしまった。

 ぼくと友人二人は靴投げをやるために公園のブランコを争って自転車に乗っていた。公園近くになったときぼくだけ近道をした。

 そしてTの字交差に差し掛かり、ブレーキ機を掛けずに急いでいた。そして車の急ブレーキ音。

『キキーン!』と『いてー』が同時だった。右太ももがバンパーに当たり、ぼくは自転車ごと倒れた。

それは一瞬痛かった。でもすぐに起き上がり、なにごともないように公園へ行こうとする。


「はまじが事故だ」


 友人たちの声が聞こえた。太ももが自然に震えている。なぜ震えているのだろうと思っていた。


「大丈夫?」


 と運転の人に聞かれ、うなずいたけど、ももが異常に痛み出してきた。

 すると中学の野球部のユニホーム姿の部員も集まった。ちょうど部が終わったのか、ぼくが入ろうとした部活の先輩たちが、『あいつ見たことある』、『ももがショックでけいれんしてるよ……』と聞こえた。

そしてぼくの表情をじろじろ見ている。ぼくは痛みをこらえて自転車を起こし、とにかくこの場から離れたくなった。ひたいからこめかみに冷や汗が流れた。買い物帰りのおばさんたちも集まり、ここにいるのがとても恥ずかしくなった。


「ダメだよ、そのももでは医者に行こう。車に乗って」


 おじさんは困ったような顔でぼくにいった。


「ぼくの自転車があるし」


 車のおじさんは友人たちに頼んでいる。

 そして車に乗って接骨院に向かった。

 治療で打撲だった。足へシップをはり、包帯でぐるぐる巻かれた。痛みは少し治まった感じだったが、歩くときはびっこを引いていた。

 その事故は別に警察を呼んだわけではない。いまから考えれば、警察を呼んでいたならば、実況見分をしておじさんは人身事故になったのかもしれない。でも治療費は全部出してもらった。

 そして中学はいきなり足を引きずる格好で通い始めた。当然ブラスバンドのホルンも練習に入るのだった。


つづく                         


ここまでが小学生時代です。三年生がいまでも印象的でした。その後はブラスバンド部が待っています。
では次回に…


 

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