こんにちは。
家にいるとそんな寒くないだろう、と思い半袖短パンで外へ出たら寒かった。もう11月になりますから、短パンはもう最後でしょうか。本日はのりぱんがお送りしました。
今日は清水昔ばなしをお伝えします。レギュラーになりました。たしか芸人のレギュラーの松本君は、はまじの約やったのですよね。見なかったけど、ユーチューブにあるのかな。ではお話しをどうぞ。

☆いも和尚(入江)
入江の慈雲寺の八代目の住職、長泉和尚は、白隠禅師というたいそうすぐれた方門下の和尚で、人柄もよく、人々に広く慕われておった。
江戸時代(1603~1867年)長泉和尚が住職をしておられたころのこと。
ほうぼうの村ではどうにもうまく作物がとれなくて、人々は困っておった。
そのなかでも三保村では、
「おらんほうじゃあ、土地が砂地だで、せっかく畑にまいた水も、あっという間に吸いこんじまう。これじゃあ、働いても働いても何も実らん」
と、特にひどいありさまだった。
長泉和尚は、三保村の人々の生活を思い、あれこれと何かいい方法はないもんかのう、と考えた。
そこである考えがひらめいた。
「わしの生まれた豊後の国(大分県)では、村の衆がよくさつまいもを食っておる。あれは、やせた土地でもよく育つそうじゃ。ひとつ、さつまいもの苗を取りよせて植えつけさせてみるかのう」
和尚はさっそくさつまいもの苗を取りよせ、宝暦七年(1757年)ごろ三保村の地に植えつけさせてみた。
苗は砂地でもちゃんと芽を出し、すくすくと育っていった。
そして収穫の時がきた。
「ちゃんと育っているといいざらなあ」
「早く掘ってみるべ」
村人達がそうっと鍬を入れてみると、まるまる太った見事なさつまいもが現れた。
「実っとる、実っとるぞぉ!」
人々は舞い上がって喜んだ。
その後、さつまいもは三保村で作られる主要な農産物になった。
そして、三保村以外でもさつまいもを植えつけるようになった。
人々は長泉和尚をいも和尚と呼び、その恩徳をたたえた。
近世から三保村から慈雲寺へお初穂として、毎年さつまいもを七俵ずつ送っていたということだ。
今では時代の流れでたくさん作っていたさつまいもも、農家が自分の家庭で食べるたまけを作る程度になっている。
おわり


(のり)そこの寺で野球やったり中学ではアメリカ人を驚かせようと肝だめしをやったとこだな。
(テレさ)あんたそんなことやってたのかね、罰が当たるよ。
(のり)だってブー太郎モデルちいくと、目の前の寺で野球になるんだ。
(テレさ)たしかに目の前だね。あたしっち近くだけど、そこより淡島神社だったね。
(のり)あそこ小さいじゃんか、よく遊んだな。
(テレさ)裏の幼稚園出たからあのへんが遊び場なんだよ。
(のり)なんださくら幼稚園じゃないんだ、てっきり名前と同じ幼稚園とおもった。
(テレさ)なぜかね、あそこなんだよ。
(のり)そこはめぐみ幼稚園だっけ、おれはうど幼稚園だ。
(テレさ)御門台の? あんなとこまで通ってたの。
(テレさ)いや、越して来たんだ、恵比寿町に。
(テレさ)そうだったの、知らなかったよ。
(のり)もし越してこなかったら?
(テレさ)なによ、越してこなかったらって。
(のり)もし越してこなかったら、って聞いてるだろ。
(テレさ)だからなんなのよー。
(のり)もし越してこなかったらな、おれはさくらと知り合わなかったってこと!
(テレさ)だからなんなのよ。
(のり)とぼけやがって! さくらの漫画におれが出ないだろ!
(テレさ)ああ、そんなこと。別に他の人にするから。
(のり)…
では次回に…
家にいるとそんな寒くないだろう、と思い半袖短パンで外へ出たら寒かった。もう11月になりますから、短パンはもう最後でしょうか。本日はのりぱんがお送りしました。
今日は清水昔ばなしをお伝えします。レギュラーになりました。たしか芸人のレギュラーの松本君は、はまじの約やったのですよね。見なかったけど、ユーチューブにあるのかな。ではお話しをどうぞ。

☆いも和尚(入江)
入江の慈雲寺の八代目の住職、長泉和尚は、白隠禅師というたいそうすぐれた方門下の和尚で、人柄もよく、人々に広く慕われておった。
江戸時代(1603~1867年)長泉和尚が住職をしておられたころのこと。
ほうぼうの村ではどうにもうまく作物がとれなくて、人々は困っておった。
そのなかでも三保村では、
「おらんほうじゃあ、土地が砂地だで、せっかく畑にまいた水も、あっという間に吸いこんじまう。これじゃあ、働いても働いても何も実らん」
と、特にひどいありさまだった。
長泉和尚は、三保村の人々の生活を思い、あれこれと何かいい方法はないもんかのう、と考えた。
そこである考えがひらめいた。
「わしの生まれた豊後の国(大分県)では、村の衆がよくさつまいもを食っておる。あれは、やせた土地でもよく育つそうじゃ。ひとつ、さつまいもの苗を取りよせて植えつけさせてみるかのう」
和尚はさっそくさつまいもの苗を取りよせ、宝暦七年(1757年)ごろ三保村の地に植えつけさせてみた。
苗は砂地でもちゃんと芽を出し、すくすくと育っていった。
そして収穫の時がきた。
「ちゃんと育っているといいざらなあ」
「早く掘ってみるべ」
村人達がそうっと鍬を入れてみると、まるまる太った見事なさつまいもが現れた。
「実っとる、実っとるぞぉ!」
人々は舞い上がって喜んだ。
その後、さつまいもは三保村で作られる主要な農産物になった。
そして、三保村以外でもさつまいもを植えつけるようになった。
人々は長泉和尚をいも和尚と呼び、その恩徳をたたえた。
近世から三保村から慈雲寺へお初穂として、毎年さつまいもを七俵ずつ送っていたということだ。
今では時代の流れでたくさん作っていたさつまいもも、農家が自分の家庭で食べるたまけを作る程度になっている。
おわり


(のり)そこの寺で野球やったり中学ではアメリカ人を驚かせようと肝だめしをやったとこだな。
(テレさ)あんたそんなことやってたのかね、罰が当たるよ。
(のり)だってブー太郎モデルちいくと、目の前の寺で野球になるんだ。
(テレさ)たしかに目の前だね。あたしっち近くだけど、そこより淡島神社だったね。
(のり)あそこ小さいじゃんか、よく遊んだな。
(テレさ)裏の幼稚園出たからあのへんが遊び場なんだよ。
(のり)なんださくら幼稚園じゃないんだ、てっきり名前と同じ幼稚園とおもった。
(テレさ)なぜかね、あそこなんだよ。
(のり)そこはめぐみ幼稚園だっけ、おれはうど幼稚園だ。
(テレさ)御門台の? あんなとこまで通ってたの。
(テレさ)いや、越して来たんだ、恵比寿町に。
(テレさ)そうだったの、知らなかったよ。
(のり)もし越してこなかったら?
(テレさ)なによ、越してこなかったらって。
(のり)もし越してこなかったら、って聞いてるだろ。
(テレさ)だからなんなのよー。
(のり)もし越してこなかったらな、おれはさくらと知り合わなかったってこと!
(テレさ)だからなんなのよ。
(のり)とぼけやがって! さくらの漫画におれが出ないだろ!
(テレさ)ああ、そんなこと。別に他の人にするから。
(のり)…
では次回に…
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