こんにちは。

清水昔ばなしという本を見つけました。こんな本があったんだなぁ、もう~(土鍋) 発行が清水農協です。お寺の協力のもと2002年6月に制作されています。でも値段がないので非売品かもしれません。農協用の本な気がします。本日はのりのうがお送りしました。
本は66話しもあります。本日は巴川の稚児橋をお送りします。

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「巴川の稚児橋」

昔、東海道の江尻の宿をたちわるように流れて海にそそぐ巴川には、橋がなく、人々は不便な思いをしておった。

その巴川に、徳川家康の命により、初めて橋が架けられることになった。

江戸時代の慶長12年(1607年)ようやく橋ができあがり、橋のたもとには大勢の村人たちが集まった。

渡り初めの式に、めでたい者を探しだせとの代官の命で、村いちばんの長生き夫婦が選ばれた。

選ばれた老夫婦は真っ先に橋を渡ろうとした時のこと。

突然、川のなかからひょいと現れたおかっぱ頭の子どもが、ちょこちょこと橋を渡ってしまった。

巴川に棲んでいた、いたずら好きな河童が、子どもの姿に化けて飛び出してきたのだった。

代官も村人もあっけにとられて、あれよ、あれよ、と見ているうちに、橋を渡り終えた子どもは、府中(静岡市)の方へ向かって歩み去っていった。

「ありゃ、なんだ?」

「どこの子ずらか」

「不思議なこともあるもんだな」

と村人たちは、その様子に見入っていた。
そのうち、ひとりの年寄りが機転をきかせて、とっさに、

「あれは、きっと、神様のお使いじゃ。めでたい、めでたい」

といった。
代官もほっとしたようにうなずいて、渡り初めの式は無事にすんだ。

こうして、神の使いの稚児が渡り初めをしたとみんな喜んで、橋の名前を『稚児橋』と名づけたという。

稚児橋は今まで通称『かっぱ橋』とも呼ばれ、2001年に前回の改修の時に作られた4匹の河童のブロンズ像を残し、新しい橋に架けられました。また、清水の郷土玩具である、イチロンサンのデッコロボーと呼ばれる首人形に河童があるのは、この伝説によるものである。

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(のり)ぼくは、かっぱ橋、と呼んでいました。そういえば橋の架け変え工事を長々した時があったので、そこから、稚児橋、と命名したのね。まったく意識してなくて、稚児橋という人、かっぱ橋という人がいるんだくらいに思っていましたね。
あの辺りの橋をすべていえるかな。
かっぱ橋、やなぎ橋、巴橋だっけ?、万世橋、みなと橋、あとなんだっけあそこの小さい橋は、最後は羽衣橋です(元タクシードライバーのくせに)

では次回に…


追伸… 巴橋ではなく、千歳橋を思い出した。あの小さいのはまだわからない。変わった名前だっけかな。




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