こんにちは。
風邪をこじらせました。本当はメリーゴーランド―へ行くつもりでしたが無理となり、エッセイにさせてください。
一月五日、朝五時四十分にNHK総合でさくらももこさんのことが十分間流れるようです。早いですけど、起きれたら見てみます。並びに下記のエッセイも読んでください。
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二〇一六年の夏はバイクがあり自転車より涼しい思いをした。おかげで快適だったせいか、バイク屋の頭に来たことをそれでも忘れ掛けていた。
十月になると、この月に変化が起きた。
十月中旬、日曜の夜七時ごろスーパーへ買い物に行こうとしたときだった。自転車で行けばいいのだけど、スーパーを通り越してまっすぐ行くと通行止めになった市道がある。最短で大通りに出る近道はどうだったかを調べるためバイクにした。そこは東名高速道のスマートインターを造設しているので、側道が通行止めになり歩行者も迂回しないとならない。迂回となるとわざわざ遠回りだ。よく通る道が通行止めになれば、だれだって工事には腹が立つはずだ。
そんなことを頭に入れ道順を考えてスクーターへキーを差す。
このバイクは買ったときからライトの明るさが弱い。さすがあのバイク屋だ。整備もしない中古と思い仕方なく乗っていた。
迂回先の辺りは田んぼ一面のため、真っ暗に近かった。一度とまってヘルメットをとればカエルの合唱が聞こえる。
昼間探ればいいものの、そのときはスーパーのついでと思ったことがわるかった。
そして迂回しながら近道を探ろうとしたときだ。この先の曲がりカーブを右斜めと思い、通常の速度で右斜めへ走ったら、そこは土が盛ってあるではないか。流行語のノミネートされていた、いわゆる『盛土』だ。
ライトの暗さとメガネを掛けていなかった、それに自分の思い込みがわるかった。
瞬時のブレーキでは効かず、右半身が盛土へ体当たりをしてしまった。
ちょうど散歩のおばさんを抜いたのを覚えていたので、『大丈夫ですか?』と後ろから声が掛かった。
ぼくのほうは、『あっ、あ、大丈夫です……』といい、右足がとても痛かったが、唇をかみしめ平常心を装った。散歩のおばさんは気の毒そうに見て離れていく。
ぼくはとりあえずバイクのセンタースタンドを立てた。ライトもついているし、エンジンも掛かったままだ。オイル等の漏れもなくスクーターはなんとか大丈夫とわかった。問題は自分だ。
まだTシャツで過ごせる時期。右腕のひじ辺りが擦れ、血がだいぶ手首へ向かい流れている。それにデニムパンツの右膝が破け、血がにじんでいる。
それに右足が震えだし、痛みが増してきた。
おばさんはまだこっちを振り向いて歩いていた。
ぼくはため息交じりで、『なんだよ、この土……』とつぶやいた。
道を間違えたようだ。暗さ、メガネなし、思い込みがわるかった。
ヘルメットを外して当たっているかを確認した。右側に擦った太い傷があるということは、頭も当てていたのだ。
これがなかったら、もっとひどかったことだろう。
意識がもうろうとしたかもしれない。おばさんが携帯で救急車を呼んだかもしれなかった。そんなことになれば、入院となれば、お金が掛かってしまう。このくらいですんだなら、それでもよかったと思うしかなかった。
しばらく身体の状態を調べているとひじ、膝、足の痛みは増している。近道探索はやめてスーパーへ行くか考えた。でもこの状態でスーパーに行けば、ゾンビまでいかないが、それに近い状態と思われるだろう。血を垂れ流す男となり、人々がじろじろ見ることは間違いなかった。それで自宅に帰ることにした。
スクーターには乗れたが、信号待ちで右足を着いたとき、激痛が走った。
そして家を出た十五分後に帰宅となった。早速オキシドールでひじと膝の消毒をする。かなりしみる。とにかく血を拭き取り、消毒だ。右足首周辺から血はなにも出ていない。ただ曲げると痛む。洗面所までケンケンで水に濡らしたタオルをとりに行く。ここでぼくはミスをした。もっと氷で冷やすべきだったようだった。シップはないのではれなかった。
この痛みだ。明日はどうしようと考え、気分は下がり早々に横になった。痛みでほぼ寝られなく、長い一夜を明かした。まるで留置場にいたときに近かった。それは今後どうするかを考えていたからだ。
三連休のときで翌日は祭日。医者は休みだが当番医がある。そこまで行くのがしんどいし、休日診療で余計な費用もとられそうだ。
自分は間違っているだろうが、金銭面を考え翌日にした。
自転車はこぐと右足、膝を痛めそうで、バイクでスーパーへ向かった。だが、また右足を信号待ちで着いてしまい激痛が走る。
昨夜より痛みが増している。それに足が腫れてきたため、くつがとても窮屈だ。右足がデブになっている。これはもしかしたら、骨にひびでも入っているのではないか。そう思いながらスーパーに入ると、びっこを引きながら食材をカゴに入れた。
近隣にある整形外科に行けばレントゲンを撮るだろうし、三千円以上はとられるだろうと。
その日、自転車へ乗れるか試すと、膝と足はなにも痛まなくバイクよりいいことがわかった。それに足を着く場合、考える余裕があるから自転車のほうがいいだろうとなる。
歩くことが困難で図書館にも行けず一日部屋にいて、自損事故やけがの写真をブログにアップしていた。その模様は、のりたかblogで見ることができる。
翌日、三連休明けの整形外科に行くと、駐車場は埋まり、駐輪場も自転車がはみ出てい。外で待っている患者もいた。
なかに入ると長いす、ソファー、パイプいすに配給制でも待っているかのように患者が多くいた。びっこで歩く姿を患者に見られながら、いそいそとしている受付の女性へ話し掛けた。
「あの、初診ですけど」
受付の女性はパソコンから目を離す。
「ここへかかったことはありますか?」
女性は顔が少し嫌々な表情だ。初診だとカルテを作らないとならないからだろう。
「いえ、四年前ごろにかかりました」
「それだと、初診ですね。いまからですと二時間以上待ちますけど」
女性は初診が嫌そうだ。ぼくも二時間は待ちたくない。
「なら、やめます」
と即答し、振り返りびっこを引いて病院を出た。
こうなると、近隣の接骨院にするかないのか。ひじ、膝の血はとまり、ばんそうこうでなんとかしのげている。とにかく足が腫れてとても苦痛だった。
そして近隣の接骨医院に行くか迷う。なぜならレントゲンがない。その分安いが骨折でもしたなら、長引くではないのか。以前、腰のけいついを骨折した身だ。入院はなくても、その分通うのも億劫である。痛みだけとれればいいので向かった。自転車で一分のところ。
外から見ても駐車場はがら空きだ。その接骨院のドアを開けた。
女性が受付にいて、待合室に人がいない。さっきの整形外科と雲泥の差であることは一目瞭然。三連休明けなら混むのが当たり前ではないのか。でもびっこを引いて入ってしまった。ここで引き返すと人気のない医院とばればれだろう。大丈夫かと思い受診する。ぼくよりだいぶ若い先生だ。
事情を話すと、単独でなにも保険会社に入ってないなら自腹になるがいいかと。それは当たり前だし、ぼくは首を縦に振る。
予想通り低周波治療だ。何度も経験したこともあり、以前は腰だが今回は足と肩に当てての治療だ。終わると千百円だった。こんなところだろうか。
二日目の治療が終わったとき、もしかしたら骨にひびがあるかもしれないからと、知り合いの整形外科へレントゲンのみ撮ってきてくれとなった。嫌であったがぼくもひびが気になり向かった。結果は大丈夫のことだったが、料金は自腹で二千七百円もした。
二日行くが痛みは接骨院でもおさまらない。こういう場合、整形外科では抗生剤の腫れ止めを出すだろう。接骨院はあくまでも医者とまでいかなかった。ぼくも薬がきらいだったので、やはり接骨院がいいのかと。ただそこの先生は慣れると自分の意見を押す横柄であることがわかった。ぼくはお客と考えていない。
四日目から行かなくなった。ひびも入っていないことから自然治癒に任せることにした。
そんなとき、バイクは危ないと心で感じとっていた。それに電動自転車に興味がある。
ヤフーオークションでこそこそ見ていた。それは酔った勢いだったのもある。あと一時間で締め切りのときだ。四万三千だった電動自転車を落札しようとボタンを押してしまった。十分後にはだれかが四万三千五百円となった。後ろのカゴも着くし、予備のバッテリーもついている。ただしだいぶ減っているようだがいいのではと思ってしまう。足も痛むし、ここらで軽い電動自転車に乗ってみたくなった。
そしてあと五分だ。酔いも濃くなりぼくは四万四千円と入れていた。
ほかも入れるだろうし、落ちないと思っていたら、『おめでとうございます。あなたが落札しました』と。
えっ、と。酔いのさなか動揺も出た。どうするか考えた。この先を断ってもいいからだ。でもせっかく落札できたなら、試しに購入してみるかと。そして相手のやりとりになる。ここで配送料が高い。プラス八千五百円となり計五万二千五百円だ。そしてバッテリーは二つあることも確認し買ってみることとなった。
翌々日には運送屋さんで届いた。足の痛むなか、静岡大学方面に走らせた。それは坂道を体験したいからだ。
主に左足へ力を入れると、座って楽に坂道を上がるではないか。
これが電動の成果かと胸が躍り出した。なんて楽なんだと。これは事実で、もし坂道が多い人は電動自転車をまず体験したほうがいい。試乗して坂道体験をすれば軽さがわかる。ただ金は飛んだ。
だが、ここでさらに金が飛ぶ。
それから二、三日たったころ、バイクのライトが突然とつかなくなった。たしかに明るさが弱かった。あのバイク屋めと、再び腹の虫がおさまらなくなった。でも事故をしたし、その影響もあるのかもしれない。とりあえず買ったところは避け、大通りに出て近道を探したところからバイクショップへ向かった。近道は昼なのですぐにわかった。
そこは優しい感じの店主だった。でも預けないとならない。仕方なしに預けて足が痛むのに帰りは徒歩で帰宅。片道一キロ半は歩いただろう。
中古ライトがなければ一万円掛かるという。翌日、中古はなく一万を払いに行った。行きは歩きで帰りはバイクだった。足のリハビリはまだしてはいけないのに、早くも腫れた足を歩かせていた。
痛い一万の出費。まだ乗るつもりなのでライトを直した。
そして電動自転車があるので、普通自転車がいらなくなった。
まだその自転車も昨年の十二月に九千八百円で購入した。友だちのいる清水まで三度ほど走ってもいた。一年近くよく乗ったと思う。
ということで売ることに。購入した近くのリサイクルショップへ査定をしてもらうと、三千五百円だ。もう少し高値を期待した。
常々売ることを考えきれいに乗っていたし、サビもよく落としていた。チェーンにオイルも差している。これならすぐに客へ売れるはず。
売れば帰りはびっこを引いて歩いて帰る。夕方、電動自転車で売り値を見に行けば、七千八百円だ。
翌日、見に行くとなかった。店員に聞くと売れたという。やはりその値でもすぐ売れたのは、ぼくのメンテナンスがよかったせいだと鼻で笑った。
一週間たっても足は痛み腫れもおさまらない。でもひびも骨折もない。ひじと膝の擦過傷はかさぶたになり、足だけが痛む。ますます痛くなる感じだ。また接骨院に通うか考えたが、ほかのところとなれば最初から事情を話すのも面倒くさい。やはり自然治癒にした。
そして十月下旬、急に寒くなりバイクより電動自転車に毎日乗っていた。スクーターの下取り値もなさそうだった。なぜならツーサイクルだし、二十年ほど前のバイクとライトを直した店主がいっていた。そんな古いバイクを売ったバイク屋へ、ひとり罵った。
夜、酔った勢いでバイク王などの一括ネット査定というのをやってみた。査定は0である。
やはりと思い、ライトも一万掛かったし総額十万近いスクーターへ、今後も乗るしかないと歯がゆく思い就寝した。
数日後、よく行く近隣リサイクルショップへ行った。それは未使用の非売品カップを売りたかったからだ。少しは値がつくだろうと。
三百円だったが、納得して住所氏名を記帳した。そのとき、スクーター査定を申し出た。査定しても二、三千と予想をする。
いくらここでも出ない場合もある。需要がなければ、バイクなどお荷物だ。
もし少しでも出たなら考えるかもしれない。そう思い査定を待っていたら呼ばれた。
店員は査定表を見ながら駐輪場にいた。
「すいません、でおいくら?」
ぼくは何度も見たことのある長髪店員の目をじっくりと見る。
「そうですね、一万てとこですね……」
少し申し訳なさそうな表情で声が静かだった。
「えっ、一万か……」
内心は驚いていた。これに一万がついた。でも顔を少しがっかり気味に演技をする。なんたって映画俳優補欠合格した身だ。それくらいは屁でもない。
「もしあれなら三日ほど考えてみてください。それくらいは大丈夫ですから。それが過ぎると再査定となりますので」
店員は忙しそうで、頭を下げると立ち去った。
ぼくは転んだときに擦った箇所を触りながらバイクを眺めた。まだ乗る気だったバイク。二、三千の予想額に一万円。ネット査定は0円だ。よく一万もついた。よそではと思うが、それはむりだ。絶対に一万以上は出ない。ここのリサイクル屋が最高値を出すことを査定しまわって知っている。とりあえずバイクへキーを差しセルを回した。一万ならライトが壊れる前に査定すればと後悔も出た。
最後の乗車になるのかもしれないと、軽快にアクセルを回した。
メーターは四十五キロを超え、頬が緩んでしまった。
こんな浮かれるとき、どこかに白バイが隠れているかもしれない。図書館に行くとき、一時停止違反者を壁の角からうかがっているのを目撃した。そんな場面はだれでも見たことがあるはず。ずるいことをして捕まえている。捕まった人らは家庭もあるかもしれない。県警交通課、逆の立場だったらを考えてほしい。
アクセルを緩めコンビニの駐車場へ入った。
そしてあることを考えた。売る場合、ナンバーや保険はどうなるのか。もう一度リサイクル屋に引き返した。
まずナンバーを廃車にすること。そうすれば自宅へとりに行くという。そこで金額を支払うようだ。
役所も近くて廃車は楽だ。それに保険も少しだけど返金もあるようだった。
そして二日後、売る決心をした。翌日の十月三十一日に外したナンバーを持ち役所へ向かった。書類を書いて廃車にした。とうとう売ってしまう。半年乗ったスクーター、足も痛むしまったく未練はなかった。
二〇一六年十月は事故に売り買いと目まぐるしく変わった月だった。現在電動自転車のみである。
電動自転車の調子は、元々ブレーキの利きがわるかったが、さらにわるくなった。なぜならブログのためにあっちこっち出向くからだ。バッテリーも早くなくなる場合もある。中古の事情がここで出ているのかもしれない。ぼくは体験しないとわからない五十一の男だ。まだ電動自転車は乗るつもり。
もし売るときはやはり近くのリサイクルショップとお決まりだろう。それだけそこは高値でとってくれる。メルカリやヤフオクという手もあるが、売れない場合や連絡とり合いも面倒である。リサイクルの店員はぼくの正体を知っている。なぜならバイクを売り、ツーサイクルオイルのストックを売りに行ったとき、くすくすと笑われた。もはや名前でばれてしまう男だ。
つづく
追伸…ロキソニン凄いな、熱と節々痛が数時間で治りました。
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