こんにちは。

この話しは、あまり人にはいえそうもありません。投稿するか迷ったけど、せっかく書いたので、もったいないし載せます。
みなさん、引かないでください。


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   ☆

  さくらの結婚のことで日本テレビの取材を受けて取材陣と夕食中、当時三十八歳のぼくがモーニング娘。のファンと知り、レポーターは怪げんな表情をした。ファンだから仕方がない。レポーターたちは前日、大阪ドームで行われたハロプロスポーツフェスティバルに取材へ行ったらしい。これには目を丸め、ぼくはどんな感じだったかを根掘り葉掘り聞いていた。なぜ詳しく聞いていたかというと、五日後の土曜日に東京ドームでハロプロスポーツフェスティバルが行われる。ぼくはそれに行きたかったからだ。
  前売り券は買わなかったので当日券しか入手はない。レポーターたちから大阪は当日があったことを知り、では東京ドームも当日券があると信じた。
  上京の前日、重要なことに気づいた。はまじ本第二弾を製作中のときで、東京に住んでいたアパートの写真を撮っておかなければならないのかと、編集者の石井さんへ電話で聞いてみた。すると『そうですね、アパートの写真欲しいですね』と言った。『明日ちょうど東京に行くので写真撮ってきます』と伝えると、石井さんは交通費を出すといってくれた。ぼくはモー娘。のイベントだから悪いですと言い返すが、石井さんは仕事も入っているからとなり、ぼくは甘えた。四ッ谷でアパートの写真と許可をとることだけなのに、ラッキーなこととなった。
それもオール新幹線だ。だがアパート撮影の許可がとれず、当日券もなかったら最悪の結果になる。
  翌朝は六時に起きた。一瞬なんで目覚ましが早朝から鳴っているのかと疑問だったが、モー娘。と撮影を思いだし身支度をする。前日妹がドームだと小さくて観られないから、双眼鏡を持参すればの言葉を思いだし、バッグに入れ出発した。
  東京駅に九時前に着き、二十分後には四ッ谷にいた。住んでたアパートは昨年友人と来たら健在であり、まだあるだろうとなる。着くとやはりアパートはある。だが大屋さんの家がまだ起きていない。アポなしだから。
  懐かしく三十分位うろうろ歩いていたが、まだ大屋さんは起きてこない。留守の感じもする。今度は文化放送のほうや、四ッ谷三丁目まで歩いたりした。
大屋さんの家に戻って来ても、まだシャッターが開いていない。時間は十時三十分になった。世間は大体起きている時間だ。近くの電話ボックスで大屋さんの電話番号を調べて掛けてみたが出なかった。『留守かなー』。
十一時過ぎまでうろうろとしたが結局、家のシャッターが開かず許可はとれていない状態だった。写真だけ三枚撮って水道橋へ向かった。許可は後で電話でとろうと思った。
  水道橋駅に着くと若者や母と一緒の女の子達が結構降りた。ドームに行くだろうと一目瞭然でわかった。
駅を出ると早速、モー娘。のプロマイドや付帯商品の出店がある。混んでいるけどのぞいた。いい物もあったが、とりあえずは買わなかった。昼間の東京ドームにつながる道は人だらけ。みんな目指すはハロプロが行われるドームだろう。入場時間はたしか十一時三十分なのか、列で混み合っている。はたして当日券はあるのか。
  ドームに来たのはこれで三回目。二十三歳の正月に氷室京介のコンサートを、二十四歳の正月にも氷室京介のコンサートに友人と来た。そして今回はハロプロスポーツフェスティパルになる。野球場なのにドームでの野球観戦をいままでしていなかった。
  ドームの正門かどうかわからないが、ファンが門を開くのを待っている。ファンのなかにはとても派手な人たちもいた。長いハッピの背には『飯田かおり』、『辻希美』と刺しゅうをし、プロマイドをそのハッピへ多数はってある。
これが本物のファンだろうな。
  ある箇所に長い列があった。それが当日券の列であった。早速長い列の最後尾に並んだ。ぼくの前には四十人位いる。並んだ後ろにもどんどん当日券目当てが並ぶ。ほぼ、十代二十代の男性である。
  そして三千八百円を払い、券をゲットする。当日なのに安くてよかった。
  ドームのなかかに入るとき、バックのなかの検査だ。アパートの写真を撮ったのでカメラ持参だ。そばを食べた後、トイレで腹のなかへ隠してドーム内へ入った。娘達を撮るつもりではない。取り上げられるため仕方なく隠した。
  なかに入って早速整理の人に聞いて席を探した。当日だから当然上のほうだろう。その通りだった。グランドにはなにやら跳び箱やサッカーボールを蹴っている少女達がいる。ぼくは誰だと思い、メガネを掛け双眼鏡を取り出した。見るとヨッシーだった。『モー娘。のヨッシーだ!』と生で見るモー娘。を喜んでいた。いつもテレビのなかでしか観ていないから、すっかり童心になった。ビートたけしを生で見たときの感動に近かった。
  早速、個人的にファンの辻加護ちゃんらを双眼鏡で探した。加護ちゃんは跳び箱の練習をしていて、辻ちゃんは六十メートル走スタートの練習をそれぞれしていた。生で観てもやはりミニモニ。だなと。
  そして双眼鏡でモー娘。やハロプロの人達全員を練習の段階で観てしまった。
そろそろ目が慣れてきた。ぼくの横に一人で来た三十歳位の青年が座った。
トイレに行くとき、なにげなく双眼鏡を貸した。
  トイレから帰ってくると青年は双眼鏡で食いつくように観ている。『ありがとうございます』といって返そうしたが、まだいいからと青年に観せた。
  青年は石川利華のファンといい、ぼくのことも聞いたのでアイボンと加護ちゃんのあだ名でいってみた。この年で十五歳の子のファンということで、青年は少々笑っている。彼は埼玉県所沢から来て当日券で入ったという。ハロプロのファンクラブに入っている。今日は来ないつもりだったが、急に行きたくなり当日券で入ったようだ。ファンクラブなら前売りでかなりいい席がとれるともいっていた。青年は過去にかなりモー娘。のコンサートに行っているらしく、このような後ろ席は極めて少ないらしい。ぼくは初めてモー娘。を観るといったら彼は驚いた。やっぱファンになったのが遅いのか。
  そんな話しを青年としていたら運動会が始まった。会場は個々に声援を飛ばしている。 
まず六十メートル走だ。この競技でなんと矢口真里が負傷した。まりっぺは完走したものの、途中失速してゴールの途端、動けなくなりスタッフにおんぶされ控室に行ってしまった。ぼくと青年は足が吊ったのかと心配気味になった。
普段ダンスで鍛えていても、走ることは違う筋肉を使うのだろう。それだけまりっぺは真剣に走った。
  六十メートル走は辻ちゃんが速かったのが印象的。加護ちゃんは遅かった。
  そして八十メートルハードルをやっていた。ここもだれか忘れたが負傷者がいた。
  跳び箱では、その段を飛べると一段ずつ上げていく。加護ちゃんは十段まで飛べて準々決勝まで残った。加護ちゃんに悪いが以外だった。目だっていたのは辻加護ちゃんや紺野あさみ、あやや、チャーミー石川、藤本ミキティ、ゴマキ、あさみ、里田まいらが高い段を飛んでいた。
  次に八十ハードル決勝では負傷者が続出した。あさみや里田まいらが足を吊って控室での治療にあたった。ゴマキもかなりの負傷で二人のスタッフに抱えられて退場していった。ぼくと青年はゴマキへ大丈夫ぼくと気に掛けた。ちょうどそのころ、まりっぺが足にテーピングと湿布でベンチに戻って来た。多分残りの競技に出られない感じだと青年に話していた。   
僕と青年はモーぼく。らの様子を双眼鏡で交互に回し観していた。ドームの大画面モニターもあるが肉眼で観たほうがリアルである。この双眼鏡は中二か中三時に買った古い物で、でかくて重い。だがズームは五十倍なので娘達の顔はよく観れた。青年も喜んでくれた。
  本当はダメだったと思うが、ぼくはメールで中継もしていた。清水にいるサカジに。サカジはモー娘。のヨッシーの大ファンで過去何回かコンサートへ行っている者だ。年はひとつ下である。サカジは清水の水泳場で働いていて、水泳好きのぼくとよく会う。しかもモー娘。のファンと知ったので意気が合いメールをやり始めた。当時のサカジには秘密があった。彼はJリーグ清水エスパルスのマスコット『パルちゃん』の中身の人だった。清水エスパルスがホームゲームのとき、サカジはパルちゃんになる。そしてハーフタイムでなんとモー娘。の曲をダンスで披露する。しかもダンスは完璧に覚え、縫いぐるみのなかで踊る凄い奴だ。練習は水泳場の昼休みなどにしているらしい。サカジは国立競技場で一度ミニモニ。の『ジャンケンぴょん』を踊ったらしい。それには驚いた。そのサカジとモー娘。のだれだれが負傷したなど、逐一メールで返送信していた。
サカジとは完璧なモーヲタであった。
  ドームのグランドでは保田チームと中澤チームの騎馬戦が始まった。勝敗は保田チームの圧勝だった。保田チームはゴマキやまりっぺも負傷で出場してないのに、圧勝だった。ぼくは密かにアイボンのいる保田チームを応援している。
青年はチャーミーのいる中澤チームを応援していた。
  次の種目は今回のメインではないのか。モー娘。達が練習しているところをテレビで観たことがあるフットサルだ。保田選抜チーム対中澤チームかと思ったら、ハロープロジェクト選抜チーム対十城クラブという対戦だった。前後半ある試合だ。この十城クラブは元々強いクラブらしい。じゃ結果はわかるねと、隣の青年に話しながら観戦した。辻ちゃんはキーパーで前後半出場していた。
十城に点を入れられていたが、セーブもしていて結構活躍する。さすが元バレー部だ。ヨッシーも前後半出場で健闘した娘だ。
  ハーフタイムのとき、まさにここでサカジが縫いぐるみで現れ、オレはここにいるぜと『ここにいるぜ!』を踊ったら大ウケなのになと思ったりした。
  そして後半になりゴマキが復帰してきた。足を痛めたのにフットサルに出場するとは勝負に厳しいゴマキだ。十五分の後半も終わり結果は七対二で十城クラブだ。だけとハロプロチームは強豪相手に一応二点入れた。石川梨華とあさみだった。二人は前の競技から大活躍していた娘達だ。特にあさみは負傷もしたのに頑張り屋さんだと、競技への真剣さが窺われた。
その後、六十メートル決勝が行われ、ハロプロキッズの子達も頑張っていた。
だが辻ちゃんの優勝である。今大会、辻ちゃんの功績は目立っていた。足がとても速く大活躍した。
  最後は保田チームと中澤チームとの混合リレーをやり、ハロープロジェクトスポーツフェスティバル2003イン東京ドームの体育部門が終わった。
十三時三十分から開催してから四時間近く経過していた。表彰式となり石川梨華やあさみ、ミキティなどが個人賞を獲得。最後はMVPで、だれもが納得の辻ちゃんだった。ちなみに先週行われた大阪ドームでのMVPはゴマキのようだ。表彰式のとき、ぼくと青年を含むファンは辻ちゃんへ大声援を送っていた。席の後ろにはハッピの熱狂的な辻ちゃんファンがいて、彼女が出る競技すべてに『ノノちゃん、ノノちゃん』と何度も連呼していた。MVPの表彰とききにはもう声が出なくなり、枯れているほどだった。凄い辻ちゃんファンだと関心してしまった。  
表彰式が終わった後はなんと、みなさんお待ちかねのハロプロのミニコンサートがある。ぼくは初めて生で観るコンサートを楽しみにしている。特にミニモニ。とモー娘。を観てみたい初心者だ。今回のキャッチフレーズは『日本の女の子は、音楽と体育です』である。ズバリその通りだった。しかしあれだけ真剣に競技に出場していて、コンサートも開いてくれるとは娘達はとても大変である。体力がないと勤まらない商売だ。
  三十分後の十八時十分になるとコンサートが始まり出す。トップはたしかモー娘。ユニットのおとめ組。次いでさくら組だった。
  コンサートになると会場のほとんどのファン達は、黄色や緑色の鮮やかなペンライトを振っていた。隣の青年は本当のコンサートでは絶対必需品だといっていた。今日は運動会が主なので持ってない人もいるが、コンサートでは全員ペンライトを振っているらしい。一本五百円で三日しか光が持たない、使い捨てのペンライトだ。結構値が張るもんだ。なかには八本振っているファンもいた。ぼくは二本位かな、日本だから。
  そしてハロプロコンサートもどんどん進んでいく。なんと保田圭ちゃんも出て来た。圭ちゃんはまだソロの歌を出していないので、なにを歌うのかと思ったら、一人『ちょこっとラブ』を歌って会場は盛り上がっていた。
  最初に負傷した矢口マリッペもユニットで元気に踊り歌っていた。そしてココナッツ娘。メロン記念日、カントリー娘。田中れいなとキッズなどがファンの声援を浴びていた。中澤裕子の歌が終わり次はだれかと思ったら、ゴマキが怪我などしていなかったかのように元気に登場してきた。そして新曲を激しい踊りとともに歌っていた。ぼくはゴマキの顔を双眼鏡で観ていた。マリッペ同様、足が痛いが激しく踊り真剣に歌う表情を観ていたら、背中へゾクゾクとしびれが走り感極まった。プロ意識が高いと感じた。二曲目の『手をにぎって歩こう』は会場五万人近いファンが大盛り上がり状態だった。みんなゴマキの元気な顔を観てハイとなった感じ。
  そしてコンサートは佳境でピンクの衣装でのミニモニ。が登場。またファンは騒ぎ出す。ミニモニ。は人気者とは知っていたが、こんなにもと。
また後ろのハッピが『ノノちゃん、ノノちゃん』と声援しだす。ぼくも本当は『アイボン、アイボン』と騒ぎたかったが、初なため照れもありいう勇気がなかった。
  引き続きあややだ。二曲歌い、二曲目の『イェぃ!めちゃホリデー』も会場中大盛り上がりだった。ぼくと青年もその輩だ。あややが終わると残るのはモーニング娘。となる。ファンはヒートアップでドーム内はペンライトの嵐で超きれいだった。やはりモー娘。は最大限の声援で三曲を歌い踊っていた。ファンも一緒に踊っている。モー娘。の歌は合いの手が入る。自分はわからなかったが、まわりに合わせて一体になった。そして清水のサカジには逐一情報を送信して盛り上がりを伝えていた。
  最後はハロプロメンバー全員がグラウンドを手を振りながら一周してくれ、大声援のなかすべてが終わった。時間は十九時三十分。なんと、三千八百円で六時間も行ったハロープロジェクトスポーツフェスティバルだ。大変お徳な運動会で大満足であった。
  今回のハロプロスポーツフェスティバルは、実況などフジテレビのアナウンサーが担当で主催も兼ねていた。実はこの日、フジテレビで十九時からモー娘。のメンバーやあややが出演するドラマを放送した。だが運動会が終わったのが十九時三十分である。ということは五万位(正式には四万五千かな)のモー娘。ファンがドームにいることは視聴率が下がるのではと、青年と話していた。両方フジテレビなのにまずかったのではないか。
  そして青年とその日だけの友となり、またどこかで会うかわからないが別れた。八時近い時間で、これからアパート撮影の許可をとるのも気が引け、四ッ谷に行くのはやめた。家で電話で許可をとろうと思った。
  行きで見たモー娘。の出店でヨッシータオルとアイボンタオルを買った。ぼくッシータオルはサカジへ、アイボンタオルはぼくに。充実した六時間を余韻に更けながら静岡に帰った。新幹線のぼくの席の前にはハロプロ運動会に行った親子達がいて運動会のことをなにやら話していた。三十八歳のぼくは密かにその話しを聞いていた。
  翌日、サカジの勤めるプール場に泳ぎに行きヨッシータオルを渡した。サカジは喜んでいた。ぼくはアイボンタオルを頭に巻き、サカジのヨッシータオルとで写真を撮った。いい中年がバカだと思われる行為であった。そしてプールで泳いだ二時間後、サカジのいる事務所に顔を出したら、急いで昼飯のうどんを鍋ごと食べていた。『なんで急いでる』と聞いたら、『十三時三十分からショッピングプラザでサイン会のイベントがあるので』といっていた。サカジがサイン会をするわけではない。清水エスパルスのマスコット、パルちゃんでのサイン会である。ということで家に帰らず、ぼくもパルちゃんの写真でも撮ろうとショッピングプラザへ向かった。
  現場に着き時間になるまで暇を潰していると、一列にパルちゃんのファンが並んでるではないか。みんなサインをもらおうと。サカジも結構人気者だなと関心した。サイン会が始まったころには行列が出来た。あまりの人達に並ぶのをやめ、写真撮影だけにして帰った。当然、営業なのでぼくを見ても無関心を装う。さすがの営業スマイルだった。
  そして次の日、ツタヤで雑誌を見ていたら加護亜衣写真集十一月二十五日発売と載っていた。『オー!』となった。二十五日は明日だ。しかも加護亜衣単独写真集。 
以前は二人の『辻加護』で写真集を出していた。だが単独となって初のソロ写真集。これは買うしかないとなる。サカジにこのことを早速メールで送った。
アパート写真掲載の許可をとることを忘れていたので、家に帰り電話してみた。大屋さんが出た。二十年前のぼくを覚えているか聞いてみたがわからないといった。本を出すことで掲載のことを詳しく話し。大屋さんは少し考えたが『いいですよ』とOKが出た。大変お礼をいって電話を切った。これでひと段落である。顔を見れば思い出すだろう。そして翌日ツタヤでソロ写真集『KAGOai』を購入。内容はちょっと大人になった十五歳の加護ちゃんであった。
ポスター付きだったので早速、部屋にはり加護ちゃんのポスターはこれで三枚になった。これ以上ポスターをはれば、母妹に完全な病気だと思われるため、これ以上ははらないと心から誓った三十八歳男だ。毎日一回は加護ちゃん写真集に目を通してる。やはり完全なモーヲタだ。というより加護オタだった。 


つづく



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