こんにちは。

本日はエッセイです。
経験があってブランクありの五十八歳からのサーフィンは、とても体が動けなかっただろうけど、よくぞやりましたと褒めています。二〇一八年のいまから三年前の内容です。記事でも度々登場しますので、これからもよろしくお願いします。


img_20180102082047


五十八歳からのサーフィン

 

 大きな勇気をもらった。

ぼくはタクシー会社で働いたことがある。そのときの配車係Hさんと二〇一五年九月下旬、偶然に川の河口で会った。自転車でよく見に行く場所だ。

 そのときの様子はこうだ。

 波打ち際まで行き、雨で河口が開いたのを見て堤防に上がり自転車に乗ったときだった。小さな男一人が歩いて来るのを視界に入った。ペダルを踏んだとき、

「あっ、はまちゃーん」

 と聞こえた。だれだと思ってみるとHさんだ。それも以前よりかなり痩せている。

「あー、久しぶりHさん、ずいぶん痩せたね」

「おれさ、サーフィン始めたんだ」

「えっ、いつから?」

 彼はぼくがサーフィンをやるのを知っていて若いころはやったらしく、またやりたいよ、と何度も社内でいっていた。だが数年でやめてしまったらしい。

「六月だよ」

「それで痩せたの」

「うん、はまちゃんに会いたかったよ、教えてもらいたいし」

 サーフは何度も練習して覚えるスポーツだ。基本しか教えることが出来ない。過去に数年やっていたというので、基本は知っているはず。初心者のボード選びなどもわかっていると思う。

「一度、ポストにHさんの紙が入っていたね、あれから電話しなくてごめんね」

 ぼくが辞める前、Hさんにアパートを教えてあった。それで電話番号の書いた紙が日がたつと入っていた。でもぼくは電話しなかった。過去の会社の人とのつきあいを絶つことが多い。自分の正体がバレているし、ちやほやされることに嫌悪感を抱くからだ。それでどこの会社で働いても、自分からは絶対に正体を話さなかった。だが、いつもバレてしまうのが憂うつだった。その後になんだかんだとよってくるのも理由だ。

「いいって、いまから静波行こうと思ってね」

「えー、すごいね」

「きょう休みだし、それでよかったら行かない、ぼくの車で」

 ぼくは少し考えた。

「わかったよ、行こう」

 Hさんは車で、ぼくは自転車で立ちこぎをしアパートへ戻った。

 四キロはあるが、ぼくが早かった。そして狭い車にぼくのボードを積んで静波へ向かった。

 車中ではタクシー会社の人の話し、例えばだれがいてだれが辞めたなど、よくある話しだ。そして近道を教えれば喜んでいた。

本当に五十八歳で始めるとは不思議に思った。前からやりたい、行きたいを何度といっていたが、なかなか始めない。たぶん口だけだろうし、加齢とともに体力も落ちる。それでやらないだろうと思ってはいた。

しかし痩せた。背はぼくより低く、サイドの髪はあるが真んなかはツルピカの禿げだ。洒落た帽子をかぶり、細身のジーンズ姿に赤のTシャツ姿。若いカッコで年令を感じさせない。以前のHさんは腹が出ていたがいつのまにかなくなった。それほどサーフへ通ったのだろうか。五日に一度の休みと、その前日の明けも向かっているという。それも毎回のようだ。とてもガッツのある五十八歳と思う。

ぼくのサーフィンは、ここ二年でがく然と落ちた。

腰痛もあるけど、母の死や友だちの死などで精神的にも苦痛を浴び、それがよくないのかもしれない。それほど通わなくなったし、加齢と筋肉痛も増すのもあって、腕が落ちたのだろう。でもHさんの楽しそうな顔を見ていると、この人は本当にサーフをしたかったのだな、と感じてしまい、ぼくは励まされた。

「なぜ今年の六月に始めたの?」

 それでもなにか切っ掛けがないと始めないはず。

「ハードオフに行ったらさ、シーガルウエットが三千円だった。それを試着したら入ったんだ。三千円だよ、これならボードも安くていいのあったら買ってしまえと思い、物色したら、四千円でいいのがあったんだ。急いで銀行へ向かって七千円下ろした。それが切っ掛けかな」

 ウエットの中古のサイズがよくあったもんだ。ぼくではむり。

 なぜならほぼ小さいウエットしかない。Hさんなら入るウエットが多かったのだろう。

 そんな話しを聞いていると静波へ着いた。波はほぼない。ぼくが、

「テイクオフ出来るだっけ?」

「なんとか出来るかな」

「じゃ、勝間田にしよう人がいなかったら」

 それなら河口がいいと思ってそこを勧めた。

「いきなり河口?」

「大丈夫だよ、砂浜だし、それに静波の膝波ではパワーがないから、一度入ったほうがいいよ」

 勝間田を見ても膝で、こっちのほうがボードを押してくれるのでテイクオフが楽と思ったのもある。それにだれもいなかった。

 そして四千円のボードを改めて見ると、ほぼ傷がなくきれいで程度がいい。ただ初心者には薄すぎて先(ノーズ)が剃っている。中級者用と判断したが、テイクオフで横へ滑ることは出来る。

 これを四千円で買ったならぼくでも得と思った。子供は四人いるというHさんは、買い物上手かもしれない。しかも長男は三十という。そんなに早く結婚したのも驚きだった。

 そしてぼくはスプリングのウエット(半そで半ズボン)に着替え、Hさんは三千円のシーガルに。本当にぴったりだった。少し小さく感じるが、三千では文句ない。

 ぼくの先頭で河口へ入った。ここは堤防を下りてすぐ川でそのなかを歩いて海に出る。川は浅く、プールのウォーキングという感じだ。ぼくもここの狭い河口ポイントは久しぶりだ。いつもサーファーが多くいるし、堤防には釣り人もいた。堤防沿いから波が崩れるときがあり、ぼくはそのときをよく狙った。なぜならそれに乗るととてもそう快になり、いい波だったから。

針が何度も引っ掛かるのではないかと思っていたが、堤防沿いの海で波待ちしていると、釣り人は先端へ移動してくれた。

きょうは堤防沿いでは波がない。

 沖に出ると後方にいるHさんの様子を見た。まだ波をもぐって越すドルフィンスルーは出来ない。そしてようやく出た。Hさんの息が整わない。初めはぼくが見本のように滑った。

 そして彼がパドルする。だが波に遅れた。

 何度とやっても遅れている。まだパドルも慣れていないように見えた。それか薄いボードのせいかもしれない。

「Hさん、ボード換えてみない? ぼくのがボード厚いし」

 ぼくのボードは初心者用ボードだ。付属品がついていたので購入した。もう五年は使い、黄ばんでいる。それと交換してみれば、中級用とわかりそうだ。

 そして海でリッシュコードを外して換えてみた。

 ぼくがHさんのボードに乗ったら、これはよく曲がっていい。

するとHさんも波に遅れず乗り、座って立つ感じだ。どうもテイクオフが完全ではない。座って立つのではダメだ。両手を放し上体を起こして立たないとぼくでは認めなかった。

「やっぱこっちは中級用でそっちが合ったんだね」

 それにHさんはボード選びに間違えた。これではテイクオフに時間が掛かるだろう。

 しばらくHボードに乗るとぼくには合う。交換したいぐらいだけど、せっかく四千円で美品を見つけたのでいわなかった。

 二時間ほど楽しんで上がった。ただ、ここの河口の上がるのが一苦労だ。入りは一メートル五十センチほどの堤防を下りるだけだ。だが上がるときは腕の力が入る。先に上がったHさんがやはり苦戦していたので、お尻を押して上げた。そしてぼくはなんとか自力で上がった。ここは二年振りかもしれない。何度も入っているときは慣れて力の入れ具合はわかる。でも久しぶりだとやはり上がるには大変だった。たぶんHさんは一人で来ればここを避けそうだった。

背も低く、五十八歳で一人では上がれないと思ったからだ。

 着替え終わると、ボードのことをいった。

「やっぱ間違えたかな」

 首を捻った。

「でも、それ絶対よそで四千円はありえないから、何度もやってボードの感覚をわかれば立てるよ」

 時間は掛かるが、一応そういうしかない。年令的に本当はロングかファンボードが妥当。でもそうなるといくら中古でも値が張る。

それに車も小さくショートボードのみだろうし。

 車に乗るとHさんは、

「もっと練習するぞ」

 と気合いが入った。いま終えたサーフなのに、まだまだやる気がある。ぼくは本当に感心した。こんな五十八歳もいるのかと。

 そして帰りに中古ボードが多々置いてあるリサイクルショップを教えると休みだった。

「そうだった、火曜は定休だった。ごめんよ」

「いいって、場所がわかったし」

 そしてHさんがいつもどこで服を買っているか聞いてきた。

「しまむらやユニクロ、あかのれんかな」

「はまちゃん、鑑定団は知ってる?」

「知ってるよ」

「ちょっと行ってみない? とても服が安いんだ」

 うなずくと向かった。

 着くとHさんの先頭で古着のコーナーに行く。そこは一枚では五百四十円で、三枚では千八十円とお得になる。でもたいした服ではないだろうとよく見れば、それが結構いい服、ブランド物があった。

「Hさん、よく知ってるね」

 あまりの豊富さと古着といっても物もいいため、ぼくはジーンズのサイズをじっくりと探していた。

「おっ、これいいな。サイズもいいよ」

 Hさんは一枚のズボンを持った。

「買うの?」

「んー、どうするかな。あっ、このジャケットブランドだぜ」

 次々に目を光らせて手にとっている。

「Hさん、この靴も五百円?」

 ブランドの靴を持つと彼へよる。

「そうだよ、サイズは」

「ちょっと小さく感じるが、ギリギリオッケーだよ」

「じゃぁさ、一緒に買わない?」

 Hさんはそう提案した。

「そうだね」

 と、ぼくは渋り気味だった。そのときいいジャケットがあり着てみるとサイズがちょうどいい。彼もジャケットを着ている。

「これはいいわ、これ買うよ。五百四十でもいいけど、はまちゃん、買わない?」

 靴とジャケットを買えば七百円かと。

「いま買わないと、絶対になくなるよ。ぼくさ何度もここで失敗してるんだ。二日後に来るともうないんだ」

 たしかにブランド物が五百円ではサイズが合えば買ったほうがいい。だんだんそう思い、ぼくは二点、Hさんが一点で三点分を買った。

 しかしHさんは買い物上手だと感心してしまう。よく五十八歳がそう豆に動く。

 そしてアパートまで送ってくれて解散した。数日後、パソコンを入れるバックはないだろうかと思い鑑定団をのぞいた。

 するとちょうどいいのが五百四十円のところにあった。すぐに手に持った。これだけ買うにしてもいい代物。それかあと二品探すかだ。ぼくは後者にする。そしてブランド帽子と、サイズの合うスボンを選んだ。試着しなかったことを後悔するのだが。

 そして自宅でズボンというかパンツを履くとサイズは合うけどピチピチの細さだった。普段から細く見えるのにさらに極細となってしまう。でも安かったからいいとなる。

 数日後、Hさんから電話だ。

「いま教えてもらったリサイクルショップにいる……」

 話しによると、浮力のあるボードが見つかり、買うか迷っているようだ。それはぼくにいわれ、浮力のあるボードをその場で買いたくなったらしい。

「ちょっと、はまちゃんちに行くよ」

 といい、数十分後来た。そしてまたリサイクルショップへ向かった。浮力があるならそれがいいかもと伝える。だけど高いという。

「……五千円くらいのが二本ある。でもそれはきれいではない。ただ一万三千のはきれいで浮力があるんだ……」

 一万三千でも安いと思う。

 着いたらぼくの感想を聞きたいようだ。

 五千円のはいまのボードより浮力はある。でも二本とも傷直しが目立っているしきれいではなかった。一万三千のはきれいで傷もそれほどなく浮力もあって勧めた。すると買うといい、銀行へつき合った。いつもそうだが、お金をあまり持っていないように思う。

 リサイクルショップへ戻るとそのボードを買ってしまった。本当にサーフィンを真剣にやりたいらしい。すばらしい人だ。ただそのボードを勧めてしまい、ぼくにも責任があるように感じた。Hさんにテイクオフを早くしてもらわないと、と思った。

 そしてその週の日曜日もHさんと静波へ向かった。台風のうねりが残り、波に飲まれて苦戦している。何度も息を切らしている。でそれも腕を回し前へ出る。Hさんを見ていると勇気をもらう。転んでも転んでも波へ立ち向かう。ぼくが初心者のとき、流されて死ぬ思いをした。そのときから波に恐怖が出て小波ばかりで練習をしていた。だがHさんは背でいえば胸もある波に立ち向かう。ぼくも沖に出れば息を整えているというのに。本当にサーフィンに残りの人生を掛けている。その日のサーフを終えても次回も誘ってくるし、Hさんには努力する精神がある。ぼくも研究熱心だけれど、彼とはなにかが違う根性があった。

 そしてまた海へ一緒に向かった。このときHさんにわるいからと、ハムサンドを作っていくと、なんと麦茶の水筒を持ってきてくれた。

「これ、はまちゃん用」

 と。ここでわかったのだが、服も鑑定団ばかりで、三千円のウエットなど、Hさんは買い物上手というより、セコイことがなんとなくわかった。自分もセコイが、彼はしっかり働いているのに、ぼくよりさらにセコイかもしれない。

 なぜなら休憩のとき、食堂でうどんやそばを作るという。普通なら面倒でうどんとスープ入りのカップ生うどんでいいだろう。でもそれが高く、一食百円にしたいといった。それはぼくの考えでもあった。

それに仕事も役職で奥さんがいるというのに、ぼくへ三倍濃縮汁はどこで買えば安いか聞くし、油揚げと豆腐はどこがいいことを聞く。ぼくは一人生活なので濃縮汁などわかるが、Hさんは奥さんがいるというのに濃縮汁を知っている。これはセコイなと思った。

 だからぼくが勧めた一万三千円のサーフボードはHさんにとって六万か七万くらいの買い物のはず。

その日の服の値段はブランドなのに、ズボン二百円、トレーナーが三百円、帽子三百円、ブランドの靴は客の忘れ物ということで無料だ。ビーチサンダルも七十円らしい。これはもうセコイの範ちゅうを超しているのではないか。Hさんのガッツは凄いけど、セコイのもある意味極めていた。今後も一緒にサーフするので、彼のセコさに期待だけど、五十八歳から始めたサーフには大きな勇気をもらえた。

 

つづく

だんだんと近年に近づき、体験談の理解をしてくれそうです。
今後はあの肛門様も出てきますよ。
では次回に…



スポンサードリンク