こんにちは。

図書館の、勝手にどうぞ、のコーナーに巴川の冊子がありましたのでもらいます。
ちびまる子ちゃんに出演する川田さんがこよなく愛する巴川についてです。
静岡市清水区にある巴川。ぼくの幼年時代は草薙に住んでいました。それで巴川を知ったのは小学校1年生の時です。入江小学校の学区内対象が巴川だったからです。その川を越えると学区外となります。親と渡るのならいいのですけど、友人同士で渡ったりするのは違反でした。ぼくと親友だったワタにはまったく関係なく、よく廊下に立たされました。いまの時代はこのような罰はあるのでしょうか。

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巴川を初めて見た時は、深そうな川という印象でした。ここへ落ちたら死ぬのではという思いかありました。川といっても河原があるわけではなく、幅が30メートルほど、両サイドはコンクリート造りの川です。水の色も正直、きれいとはいえません。そんな巴川の過去を探ります。

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巴川で魚を取ったことがありますか。
ぼくはありません。遊ぶにしては家から離れていて、そこまで行くなら学区外である清水銀座や花菱デパートへ行きます。巴川から10メートルほどの丸尾くんや花屋の徳ちゃんなら魚を取ったのかもしれません。さくら家も近いけど女子なのでなさそうです。ぼくは近くにあった池でザリガニを取っていました。その近くの大沢川でドジョウや鯉を追いかけたり、平らな小石を探して水面へ投げたりしました。水面を4回も飛び跳ねれば、友人へ自慢をしました。

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昔、人々は巴川と一緒に暮らしました。
絵を見ますとまさに巴川が中心です。しじみや魚を取ったり、駿府城へ米を運んだり、子どもは川遊びをしています。常に巴川を船で移動しています。いまでは国道や県道がありますから、昔の時代って素朴でいいですね。能島という町内に瓦倉庫が多々あるのは、工場があったからですか。
巴川沿いにある江尻小学校は、江尻城だったんだ~。えー、巴川の別名は九十九曲がり?

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ゆったりと流れる巴川。
安部川は藁科川と合流して多くの水を海へ流れます。でも雨が少ないと広い河原が現れます。たしかにそうです。西ヶ谷水泳へ行った時、中流に水がなかったことをお伝えしたことがあります。
興津川は高い山からの冷たい水を一気に海へ流し込みます。そうです。ここでサーフしていましたので、春になっても川の水は冷たいのですよ。
巴川は一年中水量が変わりません。ゆっくり街を流れて清水港にたどり着きます。
でも台風の時、巴川が氾濫してぼくは愛車シティーターボを水没させていますから。その時の水量は高いです。2、30代は家族と巴川近隣に住んでいて、台風が接近すると近所の人も車の移動をしていました。ぼくも毎度のことで渋々移動しました。そんな時は土砂降りなので、びしょ濡れになりました。

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予想もしなかった大洪水。1974年7月7日。
そうです、七夕豪雨です。ぼくは9才で小学3年生。ちょうどプールも始まり登校拒否のころでした。
前夜の凄い雨は覚えています。長家が揺れていました。当時住んでいた恵比寿町は大丈夫でした。
義父の当時乗っていた日産ローレルが戻ってきました。ぼくはなぜ帰って来たんだ、と不満たらたら。
すると、恵比寿公園から先が洪水だというではありませんか。ぼくは、洪水? という意味をわからない状態でした。
聞くと、見てきな、というので歩いていくと、公園から先に茶色い水がたまっていました。
なぜ側溝であるどぶから大沢川に流れないの? の思いでした。
これなら正式に学校へ行かなくていい、と喜びましたね。その後、清水やあちらこちらで大洪水をテレビで知り、いつまでも続いてほしい、と本当に思っていました。戸川先生に会わなくていいのですから。損害は213億円です。
コンクリートの道路が増え、雨水が地下にしみこまない。巴川に集まる水をなんとかしなければなりません。この大洪水を切っ掛けに治水対策を行いました。
巴川の水をためる遊水地や、川幅を広げたり堤防を高くしました。公園などにある雨水をためる雨水貯留施設も造りました。きわめつけは大谷川放水路を造りましたね。1度紹介したことがありましたけど。今の自宅から近いです。川底が深くあまり水がありません。でも大雨が降ると水位が高くなるのです。つまり巴川の氾濫を防ぐために造られた人工コンクリートの川です。またいつかご紹介いたします。

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巴川を汚しているのはだれ?
清水区の人工は約24万人です。巴川の周りには34万人が暮らしているようです。
食器洗い、シャワー、洗髪、洗濯、トイレなどです。この中で夕食食器洗いがもっとも汚れるといわれています。微生物や汚れを分解してくれますが限度があります。そこで人々は日ごろから汚水に気を付けなければなりません。油は流さず紙で吸い取る、合成洗剤を少量で使う、シャンプーを減らすなどすれば、汚れは少なくなり魚が住みやすくなります。
といいましても現在の清水区は、下水道管がほぼ埋め込められています。ぼくは小3時代にその中へ隠れて自宅を監視していました。そのころから整備をしていたんだな~。
汚水は下水管を通り、下水処理施設で汚物を沈殿させ、微生物で水をきれいにしてから清水港へ流れているはずです。このような工程を知ると、下水処理施設がない時代の汚水は、周辺の川から巴川へ集まります。それのみでしょう。
昔の方が汚かったのかしら?
でも昔では人口も少ないし、シャンプーなどそんなに使わなかったりします。
とにかくです。巴川は暮らしにとても重要だったようです。それで川田さんがいるのでしょうね。
さくらは単純に、川だ、で川田さんと命名かな。

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「かわなび」へいってみよう。
静岡市治水交流資料館「かわなび」へ行けば巴川のことがよくわかるようです。
へー、そうだったんだ。それも自宅から近いです。そんな施設があったのですね。近々行ってみたいと思います。もちろん無料でしょうね。この前の環境ミュージアムは、大学生以下と70歳以上は無料で、ぼくら世代は300円です。せめて100円など、もっと平等にして~。

★静岡市治水交流資料館
静岡市駿河区大谷2丁目24-11
9:00~16:30
月曜休館日
☏054-237-1322

この巴川クイズぼくは100点でした。
みなさんは?

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記事を読むとわかるよ。

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ということで、本日はわたしたちの巴川と大切さをお伝えしました。
では次回に…



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