こんにちは。

きょうは、はまじのその後です。みなさん欽ちゃんの仮装大会はご存知ですよね。
そんな大それた仮装大会は優勝賞金100万円です。
なんと清水の仮装大会にも、30年以上前の当時に賞金が出ました。1等は10万円です。
これっていまでは考えられませんよね。参加賞も各自1万円です。
やはり景気がよかった時代でした。
その仮装大会にはまじと友人が出演しました。どんなだったでしょうか。

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清水駅前銀座アーケード街仮装大会

 

 ぼくは手紙でオッケーを出すと、カニエイが出場手続きをした。

十一月十七日の日曜が仮装大会だ。

手紙交換でぼくらはなにをやるかを考えた。でもすぐにぼくは浮かんだ。それはものすごく印象的な姿がいいだろうとなった。

題して『土人と牛』だ。

 一人が土人でもう一人が牛となる。なぜそれかというと印象深い仮装となり、カニエイとぼくには演じる自信があったからだ。

 その絵を描いたり、ここは板で作り、ここは新聞で作ると指示を手紙に書いた。そういうバカらしいことだと次々と浮かんでくる。

それを仕事にすれば光ったのかもしれない。

 カニエイの手紙で『よくそんなすげーこと浮かぶな、それならおれもやりたい。土人と牛にしようぜ』となった。

 前日の土曜に仮装の道具を作ることになっていたので、ぼくは朝七時過ぎにトラオカ荘を出た。

 十一時半に自宅に着く。二時半ごろからカニエイと道具製作に入ることになっていた。

 自宅の裏はこの日のためにあったのか製材置場だ。ここから物資を仕入れるのも頭に入っていた。母がラーメンを作ってくれて食べ終わる。窓辺から裏の製材置場をのぞいた。

 明日の仮装大会は絶対に印象深くしたい。絶対に一位をとりたい。

そんな思いを込めていた。なぜならいまの時代にはありえない賞金が出るからだ。テレビや全国大会ならわかるが、清水アーケード街の仮装大会だ。賞金がこんなあるとは一位を目指したかった。

内訳はこうだ。参加賞一万、三位三万、二位六万、一位十万だった。参加賞のみで一万というのもこの時代にはないだろう。ぼくが十七歳のときは一九八二年だ。バブルがはじける前であるし、この賞金を聞けば好況の時代といえるはずだ。

 そんな思いで窓を開け、だれもいない製材置場を見渡す。カニエイが来る前にまず物資だけを仕入れようと思った。土人には盾と槍がいる。この製作がもっとも大変と感じた。明日は当日だ。いい作品を作る意気込みがあった。

うろうろしていると、ちょうどいい板と細長い角材がすぐに見つかった。それにノコギリで切ったのか落ちている資材だ。まとめて

置いてある材料とは違い、どうせいらないのだろう。槍ふんする角材もそうで、こんなに早く仕入れが出来て満足げとなってしまった。

 それを持ち、洗濯機の横に置いた。部屋に入るとまだ昼だ。カニエイが来るまで二時間はある。窓から仕入れた板を見ると、早く作りたいという気持ちが込み上がる。製作構想も頭に入っておりこぼしたいのもあった。

もう我慢の限界だ。勝手に製作に入ろうと、中学時代の技術の授業で使った七つ道具のバックを持ち洗濯機に移動した。

 盾から作ることにしてノコギリの刃を板に当てた。土人は原住民をテレビで見たことがあり、盾はまずホームベースのような形に切る。久々に使うノコギリは手入れをしているわけではないので切れもわるい。でもこれで作業するしかない。

ときおり母がなにをしているのかと窓からのぞいていた。

 ホームベースに切り終わると、盾をつかむところを作らないとならない。細い角材を切ろうとした。でも槍が短くなりそうだったので、また廃材を探した。そんないらないのはゴロゴロと落ちている。

ここの製材所は朝か夕方にトラックへの積み下ろしを見たことがある。たまに作業員が電動ノコギリで製材を切っているが、ほぼ人の気配はなかった。

 小三となった妹が帰って来た。窓からニヤニヤして見ている。

 久々の妹は大きくなっていた。まだ小さかったころ、よく妹を父兄参観日や運動会に連れてきて、女子が『かわいい』と連呼するのを母は面白がっていた。

そのあとぼくへ『はまじは妹とまったく似てないじゃん』と冷やかすので嫌だった。そんな母は妹が出来て父兄参観など来るようになった。いつも忙しいから行けないといっていたのに。

だからぼくは父兄参観の知らせを教えなかった。でもどこで知ったのか妹を見せびらかしに来るのだ。

 盾を持つところも出来た。あとは絵の具でペイントだ。カニエイにやらせようと新聞を敷いて部屋に置いた。槍は細長い角材で簡単に出来ると思った。持ちやすいよう角をカンナで削る。カンナも使ってないし切れはわるかった。偉そうにトンカチで刃の調整もした。

 槍は先を尖らせる必要がある。カンナでやったり、ノコギリやミノを使った。これに時間が結構かかった。一番苦労したが完成した。

 こんなに早く出来るとは我ながら感心する。そんなとき、

「のりたかくん」

 時計を見ると二時四十五分。カニエイを驚かしたい。ぼくは隠そうと急いで風呂場へ向かったが、彼はずんずん入って来たので見つかってしまった。

「おー、すげー、もう作ったのか?」

 と、目を丸めている。なぜカニエイは来るのが遅かったというと、T高校の三年生でも土曜は弁当持ちだ。掃除も入れると帰宅は二時半ごろになる。

「帰り遅いし、待っていられなかった」

 ぼくは得意げ両手を腰に当て口角をつり上げた。カニエイは盾、槍を持つと坊主頭なのでさすがに似合う。すでに彼が土人と配役も決まっていた。 

ぼくは自然と牛を演じるわけだ。ちなみに土人はモヒカンにしなければならず、カニエイが買って出た。それにセンター五厘の逆である、センター残しサイド五厘の断髪式は本日行う。これが楽しみでたまらなかった。

 彼に盾と槍のペイントを任せ、ぼくは牛の角と単語帳からとった牛の鼻輪にするための輪っかひもの製作に移った。

 角は新聞紙を丸めて固くする。そして両サイドを曲げるだけだ。

そして裁縫箱に入っているゴムを通す。あごに引っ掛けるためだ。

あとは白色を塗れば出来上がる。

鼻輪っかはビニールひもをつけるだけだ。これをぼくが鼻につけ土人が引っ張るのだ。製作費〇円。それで一位を目指すとはとてもセコイが、このスタイルがぼくとカニエイだった。

このころのぼくのあだ名はムスコと呼んでいる。『憲三のムスコ、憲三のムスコ、ムスコ、ムスコ、ム、ス、コ』と自作で歌も作った。

憲三とは実父の名だ。それからあだ名がムスコとなった。

人をバカにすることはだれよりも長けているカニエイだ。ぼくは仕方ないと受け入れていた。

 そしてペイントが終わるとそれらしくなった。板に緑、黄、黒、赤の模様が入っている。槍もカニエイ独特の線が入り、デザインはなかなかうまかった。ぼくも牛が出来て頭に載せ、鼻輪っかもつけて四つんばいとなってみた。盾と槍を持つカニエイがひもを持つ。

 ぼくらは大笑いしていた。

「これ絶対まわりにウケるだろ」

 腹を押さえているカニエイにいうと涙目で何度もうなずいた。

でもまだ完全ではない。モヒカンにすることと、お互い短パンになって裸になり墨汁と絵の具で塗らないとならない。体を塗るのは一発勝負の当日のみだ。

 お互い一服し終えると、断髪式になった。電動バリカンはカニエイ持参だ。T高校に通えば自然にバリカンが必要なのはいうまでもない。

 新聞を広げるとカニエイが頭を突き出した。一・六ミリ以内の毛を五厘で両サイドをバリカンで落とす。ぼくが笑いながらやっていたので、カニエイは不満気味だ。でもいつもバカにする男を五厘にするのはいい気味だった。

 そしてモヒカン完成。元の毛が短いのでそんな変わらないかもしれない。でもそれらしい土人になった。彼はこのまま一日過ごすので、母になにかいわれるはずだ。

 モヒカンになり五時過ぎに道具製作は終了した。

「絶対に一位になろうぜ、そして五万ずつ山分けだ」

 帽子をかぶったカニエイはそういって手を上げた。ぼくはなぜか一位の自信がある。東京では弟子にはなれなかった。でもこの芸には根拠のない自信に満ちていた。

翌日。

 十時に事務所に集合だったが、色を塗るため九時に入った。事務所の人がちょうど出勤して『早いね』といっていた。理由を告げてさっそく二階ある二十畳はある部屋へ入った。ここはアーケード街の店を経営している人たちの寄り合い場だった。

 そして裸になりお互いに墨汁で塗りあった。ぼくは白と黒でカニエイは茶色や顔に盾のようなペイントもしていた。ただ牛のしっぽを作るのを忘れていた。彼が大丈夫というのでそのままやることにした。

 そして塗りあっていたら、次々と出場者がやって来た。

 来る人来る人ぼくらを見て笑った。それはそうだろうと思っていたので堂々と塗っていた。まず一位は間違いない。

 どう評価されるのかまったくわからなかったが、まわりの笑いでポイントを稼ぎたかった。それには土人が派手にパフォーマンスをしてもらわないとならない。

 そしてお互い塗り終わったとき衝撃が走った。

 まわりにはスーパーマンのカッコをした銀行員たち、プロレスのお面をかぶったちびっこ、それにわけがわからないダンボールロボット。ここまではわかる。ただ小三くらいの男の子たちが、助さん角さんもいる水戸黄門のカッコをしているのではないか。これには負けたと思った。なぜなら衣装が本物に近く、子供というところがまわりを圧倒しそうだから。

「どう思う、水戸黄門」

 カニエイの耳元でいう。

「やばいかもしれん」

「やっぱな、でもおれっちにはパフォーマンスがある。頼むぞ、カニエイ」

「まかせとけ、ムスコ」

 と彼はぼくの耳を触った。どこが芸術的な耳なのかわからない。

 そして十一時なった。外に出て応募順に列に並ぶ。前は水戸黄門で後ろは忌野清志郎の化粧をしている二人組。まさに本当の仮装大会だった。やはり賞金が掛かっているせいで出場者はお金を掛けているのかもしれなかった。

 そしてスタートとなった。ただ新しくなった四百メートルほどのアーケード街を一往復するのだ。ぼくは四つんばいになりながら土人に引っ張られる。地面はコンクリートだ。膝になにか当てていないといずれ痛くなりそうだった。

 でも頑張るぞと気合を入れて『モウー』といっていた。土人は盾と槍を上げたりして『オー、オーオー』と声を出していた。途中でカニエイのパフォーマンスが強く、鼻が何度も引っ張られて痛かった。それに膝も痛くなった。

「カニエイ、引っ張らないでくれ」

 と、ぼくは涙声で伝えた。四つんばいで牛歩は遅く、どう考えても地味だ。でもこの地味と派手さがいいと思った。ずっと四つんばいで歩くのだから、見ている人たちに頑張っている姿もわかってくれるはずだ。

「キャー、清志郎」

 と黄色い声が聞こえるがこっちは『モウー』だった。

 やはり水戸黄門は人々に人気があった。でもこの前後はただ歩いているだけ。騒いでいるのは土人と十人以上いる銀行員だけだ。

この銀行員は最後尾にいて飛ぶポーズのスーパーマンを男たちがかつぎ、その後ろで女たちがティシュペーパーを配っている。これはずるい。ティシュを配れば主婦は喜ぶだろうし。

 これでは一位はムリではないかと。昨日の自信が半減していた。

 そして一回目の練り歩きは終わった。楽屋でぼくは膝をさすっていたらカニエイはこういう。

「二回目はもっと頑張るよ」

「なんしろスーパーマンと水戸黄門をなんとかしないとな」

 カニエイは膝の痛みなど気にしなくていい。ぼくはこの地味な役を早く終わらせたかった。

「スーパーマンはムリだ。あいつら十人だしティシュ配りなんかしやがって」

 カニエイはスーパーマンの団体をにらんでいた。モヒカンとそのカッコわるさがどこかの乞食みたいでニヤッとしてしまった。

「そうだな、なんとか二回目は盛大に頼む、ただ鼻輪を強く引っ張らないでくれ」

 カニエイはぼくを見ると表情が和らいだ。

 しかし膝が痛い。それに寒かった。カニエイは動き回るからまだ身体が温まる。だがぼくの牛は四つんばいで遅く、それで寒くなる。 

もしかすると見ているほうは気の毒に思っているのか。それではダメだ。情けを買っては仮装大会ではない。膝の痛さと寒さをぶっ飛ばし、元気に『モウー』といっていないとならない。それが出演者だ。最低一万のギャラも出るので、元気にやるしかない。

 この休憩中にスクールメイツが踊っていた。ぼくたちが練り歩いていたときに用意をしたのだろうか、いつのまにかいた。スクールメイツとは、ドリフターズの『八時だよ、全員集合』にいつも出ている女性ダンスチームだ。でもテレビに出ているチームは女子大生くらいで、ここにいるのは女子中高生くらいだった。野球でいうと二軍かそんなところだろう。スクールメイツはいまのダンスパフォマーとは違い、アイドルのまわりを踊る盛り立て役だった。窓から見ているとミニスカートで体をよく動かしている。ぼくとカニエイは黒い顔で鼻の下を伸ばしていた。それが終わると二回目だ。

 用意してくれといわれ、またさっきの列に並んだ。水戸黄門は『かわいい』と女性からよく声が掛かっていた。カニエイと片手を合わせ、オー、と気合を入れた。

 練り歩きが始まると、『モウー』と声を張った。でも最初から飛ばすのもよくないので、ほどほどに声を出す。

 カニエイは槍を投げる振りをしたり、わけのわからない土人の声を上げた。ぼくは牛の泣き声だけだ。

 二回目は膝の感覚がまひしてきて、そんなに痛くない。四つんばいが慣れるとは思わなかった。いまでは膝パットは百均に売っているが、このころはそんな店はないし、バレー用サポーターを買えば、

七百円はする。それならいらない服で作ればいいとなる。昨日は盾と槍のことばかり考えていて、演じる牛がおろそかになっていた。

 土人と牛の主役は土人だからだ。声を出すが二回目はつらい。カニエイと店にまで入って盾と槍を上げて叫んだ。

 ぼくらの前後はなにも叫ばない。ただ歩くだけ。最後のスーパーマンとぼくらだけ体力勝負かもしれなかった。

 そして二回目を終えると、カニエイはやりきった表情をした。

 ぼくも起き上がりカニエイと軽く抱き合った。すると耳をぱくりと口に含まれた。まただ、と。とにかく彼はぼくの耳をおもちゃにしている変人だ。

 演者は一人もいれば十人で行っているのもいるし、全部で十八組いた。二回目の歩きを終えて最後に審査員の前で二分アピールタイムがあった。それはすぐ行い、ぼくは彼の耳元で土人と牛スタイルで二週回り、土下座をやり続ける提案をした。もうそれしかなかった。そして、

「……七番、土人と牛」

 と呼ばれたので、最後の土人と牛をやり、土下座攻撃をしたらあっというまに二分たった。みんなアピールタイムといっても声が小さかったりしている。そんななかぼくらは大声だった。スーパーマンもだった。ただ水戸黄門には負けたと思った。なんと審査員の前で助さん角さんが寸劇をやるではないか。『……この紋所が目に入らぬか。天下の副将軍、水戸光国公である……』と、まわりの人から拍手喝采だった。

「負けたな、こりゃ」

 とカニエイにいってしまった。でも彼は無言で見ているだけだ。

 まだ望みを捨てないということか。

 スーパーマンもチームでパフォーマンスをやった。これにも負けたとなんとなくわかった。

 しばらく集計タイムとなり、そして審査発表となった。

「第三位、水戸黄門……」

 ぼくとカニエイはがっかりしていた。水戸黄門とスーパーマンには負けていたので、せめて三位ではないかと思っていた。

「第二位、土人と牛……」

 えっ、と思った。ぼくは思わず、

「やったー!」

 とカニエイと抱き合っていた。信じられないという感じでだった。

 まさか水戸黄門の上とは。

「第一位、スーパーマン……」

 ぼくたちは二位が信じられなく、ずっと声を上げて喜んでいた。

 一位をとる予定だったが、出演者のパフォーマンスがうますぎるのもあり、せめて三位と途中から思っていた。

 よく二位になれたと何度もカニエイと飛び跳ねていた。これで『土人と牛』のパフォーマンスを終え、最後に賞金をもらって着替えた。絵の具は落とせなく、各自家で落とすこととなった。

 帰り際、ぼくらのところへちびっこプロレスラーがよって来た。

 そして盾と槍で遊んでいる。カニエイは、

「もうそれいらないから、上げるよ。来年仮装大会それで出れば二位になれるからな」

 といい、盾と槍はいらないため勝手に上げていた。ぼく的にはせっかく作った盾だ。もったいなく思ったが、賞金ももらえたし、土人と牛はもう二度と出来ないからいいにした。

 そして恵比寿公園で賞金が本当に六万か入った紙を開くと六万はあった。

「おー、初めてのギャラだ」

 カニエイに向けた。

「まさかの六万だな」

 と、三万ずつ分けた。ちなみに帰りがけに缶ビールを各自買ったのでそれを飲みながらだ。寒いのでそんなにうまくなかったが。

「とにかく、おれたち声出したし、それがよかったのかもしれない。裸でやったのもな」

 ぼくは寒かったのでそういった。

「そうだな、あの練り歩きの結果が六万だ」

 カニエイはそういい、ビールをグッと飲んだ。

「とにかくさ、おれっち頑張ったよ。あのスーパーマンがいなかったら十万だぞ」

 そういうと、ぼくもグッと飲んだ。

「おお、あいつらきたねーな、ティッシュ配ったりして。あれじゃ一位確実だ……」

 カニエイは少し悔しそうな顔を向けた。

 少しそんな話しをしてぼくはビールを飲み干した。寒くなったし絵の具も早く落としたかった。

「この頭やんないとならんよ」

 帽子をとったらモヒカンのままだ。

「そのまま行けばどうせセンター五厘じゃんか」

「それもそうだな、ウケるしこのまま学校行ってみるかな」

 といい、自転車へ乗った。そして土人ふんするカニエイと別れた。

 ポケットには三万が入っていて、にんまりとしてしまう。

 その三万の行方はというと、三千八百円足してヤマハポータサウンドというキーボードを買ってしまった。三万三千八百円である。

そのキーボードでゆくゆくはカニエイの好きな高中正義をコピーして一緒に演奏したのだった。充実した二日間であった。土曜は作業、日曜は出演者だ。

二位というすばらしい業績を歴史に刻み、翌日は四谷へ帰った。


しばらく余韻が残ったのはいうまでもない。なぜなら水戸黄門を破ったからだった。



つづく

では次回に…




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