こんにちは。

本日は『はまじ』の過去を伝えます。
高校受験の話しからしばらくたってしまいました。その後はどんなことになったのでしょうか。
興味がある人は、ぜひお読みください。

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☆中学卒業と春休みと高校入学


 卒業式を終えれば、長髪に伸ばせるのが普通と思っていた。高校も坊主になれば確実に女に持てないだろう。合格したうれしさは瞬く間に過ぎ去り、日々がっかりとしていた。


 あまり卒業式もうれしくなかった。それはカニエイもそうだったがニモネニはそうでもなく、早くこんな学校とおさらばしたいようだ。担任を嫌う。なぜならニモネニの母は飲み屋を経営している。


店のウイスキーを盗んだことを、母が担任へ伝えた。いまならそんな家庭はないだろうが、当時は家の微罪を先生に伝える母もいた。


それがニモネニ家だ。


 夏ごろ生徒指導室でピンタを張られ、あごを手で上下に突かれたらしい。そんなことを根に持っていた。さらにタバコを吸ったのも担任から怒鳴られていた。そのことは卒業後に聞き、彼も大変な思いをしたのかと納得する。


 小学校にもいたが泣く生徒は多い。中学なら本当の別れとなるので、泣くのはわかるがぼくは泣けなかった。こういう場合、男子は泣けないのが普通だ。でも泣いている者もいた。それがワタだった。


あれから距離があって話してもいない。六組を見ているとワタが泣いている。なぜだろうと考えた。


 ブラバンを辞めたことの後悔とは思えないし、そんな泣くまでの思い出が彼にあったのか。


 次第に卒業証書授与がぼくの番だった。T高校組のカニエイは終えた。細い目の彼を見ると泣くわけがない。ニモネニはすでに証書を受けとり席に戻った。


 次だ。


「浜崎憲孝」


「はい」


 といい、緊張してステージを歩く。校長に一礼し受けとった。


 これで卒業だ。階段を下りるとき足が震えてきた。なぜだろうと思って席に着いた。すると震えがやんだ。なんだったのか、これで泣けとでもいうのか。横の女子はしくしくとハンカチを目に当てている。


 そして六組の番となり、ワタも受けとった。もう泣いてなかった。


あのときはなにかを思い出したのだろう。ワタは心が優しいときもある。そこでふとなにかを思ったのだろう。


 歌を歌って式が終わった。そして教室に戻ると女子は絶頂の涙を流す。小学生の卒業よりすごかった。


 そして担任も涙を流し解散となった。


 下級生の拍手で正門をくぐるようだ。そのときホルンの二年生Hがプレゼントをよこした。それはなぜかうれしくなり、そこで涙を流せばいい先輩だったのに、出なかった。そして門をくぐって卒業した。なんといってもブラスバンド部が印象的だ。それも一年時代の楽譜の解読、Sさん、ワタ、とそんなことを浮かべながら恵比寿公園を横切ると、目頭が熱くなった。いまごろでは遅いが、これが正直なことだから仕方がない。ぼくは制服の袖で目を拭く。スーパーによっていくという母へ涙を見せたくないので一緒に帰らなくて正解だった。


 そして日々が立ち、T高校の教科書を書店までとりに行き、入学説明会に母と出た。すると入学式まで五厘にすることと書いてあるではないか。やっぱそうだった。なぜ入学式に五厘かと、カニエイと帰りながら罵るのはいうまでもない。


 翌日もカニエイの家で不満たらたらでT高校を大いにバカにした。


 だがT高校の実態は凄まじく、入学式に五厘など序の口だった。


中学で坊主を耐えたのに、野球部でもないのにまた坊主なのは男子ならだれでも嫌悪感が抱くはずだ。


 そして入学式前日には五厘にした。当然家族にはニヤニヤされた。


入学式を終えて翌日から高校生活がスタートした。


 一カ月がたち、T高校の凄まじさを列挙する。


・ほぼ男子校だ。女子は音楽科の四〇人だけで、なぜか別の棟だった。一年男子は一一ホームから一九ホームまである。プラス二、三年生の各ホームが加わる。


・毎朝放送による朝礼があり、生徒手帳にある生徒信条を、声を張り上げていわなければならない。(入学当初は生徒手帳を見ながらだが、毎日あるので二週間ほどで暗記してしまう)


・頭髪は一・六センチ以内だ。印のついた専用の定規があり、それを頭髪に当て、少しでも越えるとその場で真ん中を五厘にさせられる。通称センター五厘という。毎週月曜日の朝が風紀検査だが毎日検査のようなもので、長そうな生徒がいると担任が定規で測り、その場でセンター五厘にする。いつもバリカンが先生の机に載っていた。


・通学時、街の道や道路に先生たちがときおり立っていて、帽子をとってあいさつしないとセンター五厘にされる。制服のカラーホックを外しているだけでも、『なんホームの名前はなんだ』と聞きメモをとる。そして昼休み生徒指導室に行きセンター五厘にされる。もし向かわなければ大ごとになり、センター五厘だけではすまない。たしか生徒信条を習字の半紙に一〇枚筆で書くようだった。それにセンターソリンだ。(ソリンとはT字カミソリでセンターを剃られる)


・学校に着くとジャージでも体操着でもない、チャックの着いた学習着に着替えないとならない。制服はなんのためだと疑問も出るが、あまりにも凄まじいためいちいち考えていると頭がおかしくなるので、ただ従うだけだった。


・土曜なのに弁当持参だ。つまり昼食を食べて掃除をし、ホームルームをするので土曜なのに帰りが二時ごろとなる。


・三年間在学する間、一年で四回計一二回T高校指定の竜爪山(標高一五一一メートル)を登らなければ卒業出来ない。登山日に休んだ場合は、春休みや夏休みに担当の先生と登ることになる。


・停学は自宅停学ではなく、学校停学である。内容は朝七時までに登校し、付近の掃除を行う。授業を受けられるわけではなく、花壇の手入れや校舎の壊れているところを修理する。午後は掃除と生徒信条を半紙に何枚も正座で書く。そして五時に帰ることが出来る。休憩を入れたが九時間労働ではないか。


・指定の自転車に乗らないとならない。それはセミドロップハンドルを逆にしてかごと荷台をつけ、センタースタンドを装着。カバンは必ず荷台に縛ること。見るからにカッコわるい。もしかごに入れているのを帰宅する先生に見つかれば、クラスを聞かれ昼休みにセンター五厘。アップハンドルも当然センター五厘だ。毎日一年から三年までの駐輪場を先生が見回り、違反があれば名前でわかる。


・カバンは学校指定のマークの入ったカバンでなければならない。

なぜなら潰せないように鉄の長い枠が入っている。十センチ以上はある。中学のカバンよりだいぶ厚い。鉄をとって潰せば、当然センター五厘だ。


・制帽もあり、こちらも校章のところを潰せないように鉄が入っている。潰せばどうなるかはわかるだろう。それに帽子代も掛かる。


 まだあったが思い出すのはこんなところ。これがT高校の実態だ。


中学時代を振り返れば、本当に定時制でいいと思った。



つづく


こんな厳しい高校を卒業できるのでしょうか。
では次回に…



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