こんにちは。

きょうはブラバン以外のぼくの中学時代です。
性に目覚めてしまいました。一体どなふうに目覚めたのでしょうか。よろしければ読んでください。


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中一時代

 

 部活以外のことを書いてみる。

小六の三学期ごろから手乗り文鳥を育てていた。それはトロンボーンが欲しいときと平行している。楽器店の横にペットショップがあり、トロンボーンをあるか見に行く帰りに何度もよっていた。そのころ友人がインコを数匹飼っていて、ぼくも文鳥を手乗りとして飼いたいと思い、とうとうオスとメスの二羽の赤ちゃんサクラ文鳥を買った。一匹はたしか九百八十円ほどだったような。

そしてエサをお湯でやわらかくしてスポイトのような器具で与える。最初は結構食べてくれる。腹がいっぱいになると口を開かなかった。ぼくが学校のときは母にエサを与えてもらった。面倒くさがりの動物嫌いだが、なんとかやらせた。

 エサやりは一カ月もすれば大きくなり、もう自分でエサを食べられる。カゴを友だちからもらい、本格的に文鳥を飼っていた。 

普通の文鳥とは違い、カゴの出入り口を開ければ、ぼくを母と思い手や頭に乗ってくる。なんともかわいい。ただ頭にフンをするので、そのときはなんともいえなかった。

 中学に入れば部活で帰りも遅くなる。でも一日一度は手乗りをした。休みの日は長く遊んだりした。幼稚園の妹も面白がっていた。

ただフンをその辺にするので、しっかり片づけないと母が怒る。

 昼間は日光を浴びせるため外に出す。スズメが近くにいたりとエサを狙ったりする。いまから考えるとそんなときの文鳥たちは恐怖だったのかもしれない。外敵などまったくいない状態で育てた。カラスだっているし、蜂もうろうろいる。

 ある朝、文鳥たちが卵を産んだ。ぼくは『おー、やったな』と思っていた。だが学校から帰ると、卵は巣から落ちて割れていた。

温めて割れるとは考えられない。なぜならそんな母鳥はテレビで見たことも聞いたこともなかった。大体は母鳥が温めて父鳥が外敵から守るのではないのか。

そしてまた卵を産んだ。だが同じことになった。友だちに聞けば、手乗りで育てたからではないかという。よく考えるとそうだった。

ぼくが母鳥なわけで、あのような大きな人間になると思っている。

つまり文鳥たちはまだ子供と思うらしく、卵を産むとこれはなんだ、と思い蹴って巣から落としたようだ。

 これでは産んでは落とすを繰り返しそうだ。文鳥言葉でもわかればいいのだけれど。でもその後は産まなかった。というか、文鳥たちと会えなくなった。

 夏休み前だった。いつものように外に出して学校へ行く。

 そして部活を終えて帰ってくると、角の潰れたカゴがあり、文鳥がいなかった。もしや猫にやられたのか。ぼくは涙が出そうな勢いで母に問う。

「憲孝、横山さんち犬が鳥を襲ったのよ、あとで謝りに来るだって……」

 それを聞いたら悔しくなって泣いてしまった。

「あの野郎」

 とつぶやいていた。一匹は犬のランが食べたらしく、もう一匹は飛んで逃げたという。それなら一匹は戻ってくるかもしれない。

 ちなみにランはビーグル犬との雑種で狩猟癖があったようだ。

 そして夜、横山さんとランが謝りに来た。おじさんが謝ってもしょうがない。そっぽを向くランが謝れといいたかった。近所だし、このことはランを見るたびに文鳥のことを忘れられなかった。何度か横山家がいないとき、犬小屋に石を投げたこともあった。結局、逃げた文鳥は帰って来なかった。

たまにインコが木の枝にいるのを目撃するが、脱走でもしたのかと。たぶん文鳥はその日のうちにカラスや猫に襲われたと思う。

外の世界をまったく知らない手乗り文鳥だったからだ。

 

 

 タカオという真面目な友人と西友ショピングセンターの屋上に行ったときのことだ。

真面目とはワタとくらべるとそうなる。屋上はペットショップと百円以内のゲームコーナーがある。ショップは手乗りにする赤ちゃん文鳥、インコ、子犬、子猫を簡単に見て、安いゲームをタカオとやっていた。するとどう見ても不良の中学生六人が来た。

「ハママン、やばいな。あいつらは私服だけどおれっちは制服でなんか話し掛けてきそうだ」

 タカオが不安な顔をする。『ハママン』とはタカオからのあだ名だった。ちなみに『はまじ』というあだ名は小学二年のときについた。

はまちの養殖のところを先生に指されてぼくが教科書をつっかえながらも読んでいた。クラスメートの女子が苗字の浜崎を掛けて自分のあだ名がそれだけでついた。『はまち→鼻血→はまじ』となった。

あまり意味がなかった。それで女子はほぼ『はまじ』という。

男子が呼ぶ『はまじ』はそれほど親しくはない生徒だ。

ワタはハマヤン、タカオはハママン、このハママンとババが中学で仲のいい男子が呼ぶあだ名だった。さくらは当然女子だから『はまじ』になる。

 タカオと気にしていると、やはり不良たちがよって来た。そしてぼくらを囲んだ。

「……なんだ八中か、おれたちは二中だ」

 背の高い細い男がいう。ボンタンのジーンズに赤いTシャツ、額は剃り込みが入っている。六人ともそんな格好で剃りが入る。

「サイフのなか見せてくれ」

 やはりカツ上げだ。タカオと目を合わせたあと、ポケットから渋々サイフを出した。当時ぼくのサイフは十円、五十円、百円とレジのように分かれたサイフで、一目でいくらかわかる。

 十円が五枚、五十円が三枚、百円が四枚といったところだ。

「こんだけかよ」

 といわれたが仕方ない。ちょうど制服の首まわりのカラーを四枚買っていた。でも少なくてよかった。タカオはいつも金があり、千五百円は持っていた。結局ぼくは四百円、タカオは八百円くらいとられた。なんとも嫌な気分だった。そのことは二人の内緒にしてしまったので、だれにも話さなかった。警察や先生に話すと仕返しもあるかもしれなかった。なんたって学校がばれていたので、待ち伏せもある。その後、そんなことはなかった。

 

 

 夏休み、中部大会で負けて休みになったときだ。友人がぼくに伊豆の親せきの家へ泊まりに行かないかという。伊豆なら泳げていいなと思い即答した。

 そして二泊三日の旅に出掛ける。JR三島駅で降りて伊豆箱根鉄道に乗り換える。そして稲取駅で降りた。

 そこから少し海のほうへ歩くとあった。一軒家の敷地内であるが、離れのように駐車場の上に八畳ほどの別の部屋があった。そこに泊まることになった。食事は一軒家ですまし、一度外に出て階段を上がり部屋となる具合だ。ただトイレは一軒家まで行くのだったが、遠慮はいらないから自由に使ってとおばさんがいった。

朝出て一時ごろ着き、ご飯は三島駅でカレーを食べてすませていた。

 バックの服を整理し街の探検をすることになった。海は近いが稲取では岸壁だ。今井浜まで行かないとならないという。その日は街をぶらついて終わった。夕飯をごちそうになりその夜は部屋でマンガ本や雑誌を見た。テレビはなかったが、おじさんが小型のテレビを持ってきてくれた。伊豆のチャンネルは東京の番組が観られるので、ちょっと感動した。

『エコエコアザラク』というオカルトマンガの単行本を何巻か忘れたけど、新作が街の書店にあったので買った。

 エコエコアザラクには主人公の女子高生がたまに裸になりおっぱいを出している。いつもはなにも思わなかった。なぜかそのときは女の裸に興味がわいた。何度見てももやもやとした興味が出ていた。

そしてその部屋の棚にはプレイボーイ、平凡パンチというグラビア雑誌があった。友人がトイレや風呂に向かったとき、それをこっそりと見ていたら、あそこが立ってしまった。なぜ立つのかまったくわからず、しぼんでほしいと雑誌を棚にしまう。まだ見たかったが、友人がいつ上がってくるかわからない。

なぜこんなこそこそしないとならないのかと思った。でもあそこが立つのでこれが性なのか程度に思ったりした。

そしてエコエコアザラクの裸のシーンを見ているとやはり立つ。

でもプレイボーイの雑誌のほうが鮮度がよく、そっちのほうがすぐにあそこが反応する。いまから考えればこのときが性の目覚めだった。

 翌日は早く目が覚めた。友人が寝ているのでプレイボーイと平凡パンチを布団のなかで見た。やはり立つのは早かった。布団のなかなので友人が起きた場合、寝たふりをすればいい。

 稲取でこんなことになるとは。でもこれが大人という証拠だ。

 その日は今井浜海岸で遊ぶことになった。部活も終わって初めての海。もう泳げるし、思いっきり遊ぶつもり。ふと戸川先生の言葉が脳裏によみがえる。『浜崎が大きくなれば、海や川で泳げなく楽しみが減るんだ……』とそんなことを思い出す。このことを先生は伝えたかったのだろう。

 そしてモリで魚を捕まえる。だが逃げるのが早くむりだ。

 友人と足の着かない場所まで泳いでいたら、流されてなかなか岸にたどり着かない思いもした。とても疲れておぼれるのではないかと思ったが、必死で岸に向け泳いだら着いた。これが海とプールの違いだった。それは後々サーフィンで思い知るのだった。

 ぼくと友人は急な沖への潮の流れで疲れ、テンションが下がってしまい帰ることにした。ぼくはどっちかといえば、グラビア雑誌をこそこそ見たかった。

 ぼくが先に一軒家の風呂に入り、友人が次だ。そして平凡パンチなどを見ていた。今度はあそこをいじりたくなり、軽く触っていた。

なんとなく気持ちいい。これでは勉強が手につかなくなりそうだ。

その日は疲れもありすぐに寝た。翌日は、その部屋の掃除をしておばさんにあいさつをして電車で帰宅した。この稲取の旅でぼくはエロに目覚めてしまったようだ。

 その翌日、どうしてもエロ本が欲しくなり、店員がじいさんかばあさんの書店を探し回った。なかなかそんな書店はなく、母くらいの女性だったりする。

 そしてついに見つけた。それは当時あったヤオハンデパートの裏の商店街にあったのだ。

『愛林堂書店』だ。そこはばあさんが座っていて、ここだと思った。

そして参考書のところにいたり、マンガのところにいたりと、なかなかエロ本を買えない。エロ本コーナーを通ると胸の鼓動が跳ね上がる。どうしてもそこにいられず、通り越してしまう。大人の男性がずっとそこで立ち読んでいた。いくらばあさんでも中学生ではダメかと怒られるのではないのか。そんな気もしてうろうろしていると、

「どうしたの、なにを探しているの?」

 と、ばあさんが聞いてくるではないか。ぼくがうろうろして挙動不審に思ったのかもしれない。困ったぼくは、

「え、えーと、大丈夫です」

 そういい、マンガコーナーに行く。

とても恥ずかしくなった。でもエロ本がないと、あそこがムズムズしてなにかを爆発しないとならない気持ちだった。それがなにかはまったくわからない。こんな話しはワタにもタカオにも話せなかったし、とても純な中学一年生だった。

 そして一時間以上はうろうろした。するとだれもいなくなった。

 緊張が増大する。いましかない。ぼくはドキドキしながらエロコーナーの『映画の城』という雑誌を急いで手に持った。そのままレジに向かった。

「あら、見つかったの」

 メガネを掛けたばあさんは包み出す。

「は、はい」

 ようやく買えた。

「五百五十円ね、よかったね」

「は、はい」

 硬直しながらの返事だ。たしかに買えてよかった。こんなに本を買うのに緊張したのは初めてだった。性とはすごい緊張を生む。

 そしてその本で初めての経験をしてしまった。あそこから白い爆発が起きた。終わった後、ずっと心臓がドキンドキンしていて、口が開いてポカンとした状態が続いていた。それからというものの、エロ本なしではいられない日々となった。


つづく 


性の目覚めはだれかに教わったわけではなかったのです。女の裸をみたくなり、自然とオ〇ニをマスターしました。
ぼくは当時、真性包茎でした。左手はぺ〇スを握り、先っぽを右手で左右に摩擦するのです。
その左右の摩擦が早くなっていきます。なんとなく気持ちよくなっていて、ぺ〇スからなにか出そうになったのです。
そして一気に気持ちいいことがおきました。
初めて精子が出たときは一体この白い液はなんだ? という放心状態が起きました。心臓がものすごくドキンドキンと伸縮していました。
そしておさまったとき、真性包茎なので先っぽの皮に白い液体がたまっていて、それらをティッシュで拭き取ったのです。これが初オ〇ニーでした。
それから毎日こそこそとオ〇ニーをしていました。それはいまでも続いています。あまりやり過ぎると前立腺炎の悪化につながります。たまに1日2回のときもあって、ほどほどにします。

では次回に…


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